連想の練習 06

翻訳家
東辻賢治郎と

2026.10.18 Sun

地図を持って、地図の外へ

ある言葉や風景に触れたとき、経験や知識と結びつき、別のイメージへ広がっていくことを「連想」といいます。それは誰にも邪魔されることのない自由な遊びであり、その人の世界の見方を映し出すものでもあります。

連載「連想の練習」では、さまざまなゲストとともに同じ場所を歩き、その先に広がる連想の軌跡をたどります。舞台となるのは東京・日比谷公園。同じ場所でも、歩く人が変われば、目に留まるものやそこから思い浮かぶことも変わっていくでしょう。

東京都心に雨が降り続き、まもなく1ヶ月を迎えようとする9月下旬。
今回ともに歩くのは、翻訳家であり、建築・都市史研究者でもある東辻賢治郎さん。大学院で建築史・都市史を学び、地図製作にも携わってきた東辻さんは、レベッカ・ソルニットの『ウォークス 歩くことの精神史』をはじめ、都市や移動することをめぐる数々の著作を翻訳。2024年には、地図という身近な存在を、歴史や哲学、個人的な記憶を交えながら考察する初の単著『地図とその分身たち』を刊行しました。

地図に描かれた世界と、私たちが実際に歩き、目にしている世界。そのあいだには、どんな違いがあるのでしょうか。そんな問いを携えながら、雨上がりの日比谷公園を歩きます。

16:13

東辻(以下、T)
日比谷公園に、こんなに高低差があるとは思わなかったな。

大野(以下、O)
高低差があるというより、あそこだけ石垣 [1] が残ってるんですよ。
上に登るとベンチがあって、夏は木陰ができるから、結構お気に入りの場所なんですよね。

T
霞ヶ関で働いてる人とかが来るのかな。
あ、サギがいます。

O
ほんとだ。このあたりは心字池 [2] を始めとして、かなり日本庭園 [3] の形式に則ってますよね。

T
松も刈り込んであるし、「見るべきもの」として整えられてます。

O
こっちは亀の池で、向こうには鶴の池があります。
学生時代、三四郎池 [4] にはよく行きました?

T
よく行きました。鬱蒼としてて、落ち着きますよね。

O
……なんだ、あいつ?

T
カワセミ [5]

O
カワセミだ!すごい。鳴き声は初めて聞きました。

T
都心でカワセミを見るとは思わなかったな。

O
水がきれいじゃないといないですからね。

T
今日はもう、これだけで来た甲斐があった(笑)。

O
確かに(笑)。
前に見たのは、白金にある自然教育園 [6] でした。広尾にある有栖川記念公園 [7] にもいたな。

T
ちゃんとした公園には、ちゃんと鳥がいる。

O
雨が続いてたからか、植物がすごいですね。
最近まで日差しがけっこうきつかったんですけど、今日はほんと歩きやすいです。少し前までスペインにいたんですが、向こうも、めちゃくちゃ暑かったです。

T
それは調査で?

O
バレンシア [8] にある『川底公園』 [9] っていうのを見に。治水計画で川自体を別の場所に移して、その9キロぐらいある跡地を公園として利用されてるんですよ。グランドレベルより下なので、歩きながら、上を歩いてる人を見上げる。

T
面白い。

O
ただ、大きすぎたのと暑かったので、全く踏破できなかったです(笑)。

T
川底だと、余計に熱や湿気がこもりそうですよね。

石(以下、S)
私もこの前スペインに行ったのですが、スペインは建築によく石を使いますよね。

O
スペイン、ポルトガル、イタリアあたりって、石の産地としても有名だね。ライムストーン [10] とか花崗岩 [11] がよく採れる。地震も多くないから組積造 [12] ができるんだよね。

T
日本で伝統的な組積造っていうと、目の前にある石垣くらいかな。熊本城 [13] の石垣なんかも、地震で崩れましたよね。

O
大雨でも崩れますね。水圧が抜けなかったりして。

T
あとは 、台風もあるし。日本は昔から壊れたら作るってマインドなんだろう。

O
壊れたら作り直すというより、少しずつ更新していく。「手入れ」というのは、日々の暮らしの中で当たり前に繰り返していくことなんだと思います。

T
あと、日本は普通に木が育ちますからね。スペインだと地域によっては、そもそも木があまり採れないんじゃないかな。

O
オリーブ [14] の木を使った木造建築って、聞いたことないですもんね。
そういえばバレンシアってパエリア [15] 発祥の地なんですけど、オレンジも有名で。伝統的には、オレンジの木を薪にしてパエリアをつくるらしいんですよ。

T
柑橘類は油が多いから、よく燃えるんだろうね。
柑橘類はよく燃えるのかな。油が多そうなイメージはある。

O
この公園のどこかにも、備長炭 [16] の元になるナナカマド [17] があるんですよ。どこだっけな。7回、竈にくべても燃え残るから「ナナカマド」っていうらしいです。

16:35

T
うわー、現代的な芝刈り機!

O
一人だけ仕事してますね。

T
自律式なのかな。

O
こういう自走する機械って、自分がどこにいるのかを把握するのが結構難しいらしいんですよ。最近はその精度が上がって、どんどん性能がよくなっているみたいです。

T
このサイズだとGPS [18] は積んでないだろうね。ルンバ [19] の屋外版。

O
こいつも頭の中で地図を描いてるんですかね。

T
現在地から、どの角度に、どれだけ動いたか。それを全部記録して、真っ白な二次元平面に軌跡を描いていく。そうすると、だんだん地図ができてくる。

O
それって、伊能忠敬 [20] と同じですか?

T
似ているところはあるけど、全体としてはかなり違うかな。伊能忠敬の場合は、太陽や星の角度で位置の基準を確かめながら、実際の測量では基準点からの方角と距離を測っていく。要するに、距離を測る道具を使って、一地点ずつ測量するんだけど、絶対的な基準で修正が入るわけです。

O
この子が、どういうふうに世界を認識しているのか気になります。

T
僕らも真っ暗な部屋に放置されて、「この部屋がどんな形か調べてください」って言われたら、同じことをすると思うんですよ。壁にぶつかるまで歩いて、距離と角度を測って、頭の中に地図をつくる。でも普段、現実世界をそんなふうに認識することって、あんまりない気がします。

T
イギリス式庭園 [21] って回遊式庭園 [22] じゃないですか。何もない広場だったら、歩く経路は無限にある。でも庭園では、「このあたりを歩いてください」という有限の経路の束を提示する。そう考えると、この芝刈り機がやってることとは真逆ですよね

O
この芝刈り機は、無限の経路の束から自分で経路をつくっていく。

T
この道も、誰かが設計したものですよね。つまり、庭園の道は「歩く可能性のある有限の束」を提案しているわけです。地図も少し似ていて、地図そのものには、ほとんど無限に経路の可能性がある。でも、実際に「地図を読む」ときには始点と終点があって、その間に何らかのナラティブ [23] なり、ロジックを見つけることで、ひとつの経路が立ち上がってくる。

O
ナラティブっていうのは、すごく面白いですね。
地図を「つくる」ことにも相当ナラティブが入ってると思うんですけど、「読む」ときのほうが、よりそういうことが起きるのかな。

T
地図がつくられるときにも、「何を意図して、誰が、どういう目的で、誰に向けてつくったのか」は当然あるんですよ。ただ、それは割と自明のリテラシーとして扱われてる。外国の地図を見ても、僕らはなんとなく「これは地図だ」ってわかるじゃないですか。

O
それって、アフォーダンス [24] みたいなものなんですかね。本能的なものというか。

T
そこはいろんな議論がありますけど、僕は基本的には後天的なリテラシーだと思ってます。
いわゆる「地図的なもの」を地図として認識することって、実はそんなに自明じゃないんじゃないかと。

O
本能的に地図的なものを扱える動物っているんですか?

T
人間の地図と同じものを持っているかはわからないですけど、空間を二次元的に把握しているんじゃないか、と言われる動物はいます。例えばヒキガエル [25] って、繁殖のときにかなり広範囲を移動するんですよ。

O
何らかの「地図」を持ってる。

T
あとはミツバチ。花がある場所を、方角と距離で他の個体に伝える。

O
8の字ダンス [26] ですね。

T
あれも一種の地図的なインデックスです。

O
でも、それはその場限りの本能的な行動なんでしょうか。それとも、頭の中に地図のようなものがあって、それを参照しているんでしょうか。同じように見えても、ずいぶん違いますよね。

T
そうですね。そもそも何を「地図」と呼ぶのか、という問題がありますよね。例えば、「世界最古の地図 」[27] みたいな話ってよくあるんですよ。

O
翻訳におけるガヴァガイ問題 [28] を思い出しますね。
言葉と、それが指すものの関係が一筋縄ではいかないというか。

T
原理的には近いと思います。
そもそも僕らが「地図」と呼んでるものが、どこまでを指してるのかを最初に議論しないといけない。絵画や写真なんかと比べて、「地図」というメディアが独立した形式として成立したのはいつなのか、という問題もあります。

O
なるほど。

T
一般的に僕らがイメージする「地図」って、かなり近代的なものなんですよ。16~17世紀以降、測量や複製技術が発達して、地図が大きく変わった。

O
それ以前は?

T
絵に近い一点物も多かった。今だと、都市図も経路図も、国土地理院の地形図も、世界地図も、地球儀も、全部「地図」と呼ぶけれど、もともとは別物だったんですよ。昔の世界図なんて、神話的な世界観だったり、聖書の世界観だったりする。それが大航海時代 [29] を経て、だんだん変わっていく。

O
どこかで、ひとつの描き方に収斂していくんですか?

T
ひとつの規範ができてくるのは、19世紀くらいですね。「地図とはこういうものだ」という共通の形式が成立してくる。でも、それ以前はつくる人も、使う人も、流通する場所も、目的も違ったので、それらを後世から「地図史」というひとつの枠組みで語っていいのか、という問題があります。

O
今ここで僕らが肉眼で見てるものって、どこまで地図の認識範囲なんでしょうね。例えば、この舗装の違いとか。

T
そのスケールは、普通の意味での地図のスケールではないですよね。でも、建築の図面だって、地図と言えば地図じゃないですか。

O
配置図 [30] や外構図 [31] も地図っぽいですよね。でも、あれは本当に地図なのかな。

T
そういう話になっちゃうんですよね(笑)。

O
木造建築のプレカット図 [32] なんか、僕にはかなり地図に見えます。

T
平面図だって、「建物をこの高さで水平に切って、上から見ました」という表現だから、地図と言えば地図ですよね。

O
ただ、図面の場合、地図ほどナラティブが発生しにくい気がします。
例えば「ここからここまでどう移動するか」という経路を、図面から見つけようとは普通あまりしない。

T
でも、間取りって、ある種のナラティブじゃないですか。

O
確かに。ここにキッチンがあって、ここにリビングがあって、と見ていくと、そこから生活が見えてくる。

T
だから図面も、やっぱり地図なんですよ。設計者の意図があって、それが図面に表現されて、その図面をもとに建物が建つ。
そこで面白いのが、「じゃあ図面って、本当に設計者の頭の中にあるものをそのまま建物に伝えるものなんですか?」という問題なんですよ。ロビン・エヴァンス [33] なんかは、そうじゃないんじゃないか、と議論している。図面の中で当たり前に使っている図法そのものが、最終的にできあがる建築の形に影響してるんじゃないか、と。

O
それは、自分で設計していてもすごく感じます。例えば、この柵のこの曲線が生まれるのも、最初から「この形にしたい」と思ってたわけじゃなくて、使っている図法やツールの側からドライブされていることがある。

T
まさにそういう話です。

O
例えばベジェ曲線 [34] が生まれた瞬間に、「ベジェっぽい空間」が生まれる。それまで存在してたものの中から、そういう形が新しく「発見」されることもあるし、同時に、新しい形が「創造」されることもある。CAD [35] なんかもそうですよね。

T
CADだって、機械が設計者の意図を一対一で実現してるように見えるけど、実際には物理的な制約の中で決まりますからね。

O
僕らは「丸」や「三角形」を使うけど、そもそも、その形を図式として扱えるから設計できるわけですよね。つまり、設計図法のほうが建築の形に影響を与えている。

T
そうですね。

O
設計のプロセスで、形が一回「成形」されるんですよね。デフォルメされるというか。
例えばコルビュジエ [36] が「自由な曲線」と言ってても、実際に建築に落とし込むときには、型枠工が型枠を並べられる形に変換される。

T
図法が形をドライブする。まさにそこに、僕は興味があります。

17:02

T
公園計画には、辰野金吾 [37] とかも参加してるんですね。

O
元々はいろんな案があって、最終的にはそれぞれのいいところを取ってつくったらしいです。

T
今いるのは……この辺か。こうして見ると、全体はなんとも言えない形をしてますよね。

O
日本庭園の図面って、あんまり幾何学っぽくないじゃないですか。庭師が一人称の視点でつくったものを、あとから測量して図面にしてるから。でも、明治以降なのかな、「計画」とか「デザイン」という考えが入ってからは、幾何学的になりますよね。

T
ある意味、気持ち悪い。

O
そうなんです、上から見るとランドスケープの図面って幾何学が強くてぱっと見ちょっと気持ち悪いことが多いんですよ。実際に歩いてみると、あんまり気にならないんですけど。

T
辰野金吾の案、すごいね。

O
かなり中心性がありますよね。これが採用されなかったのは、人が集まれる場所がなかったからなのかな。

T
そういえばロンドン大火 [38] のあとにも、こういう感じでいろんな案が出てくるんです。17世紀にロンドンが大火で焼けたあと、クリストファー・レン [39] とか、ロバート・フック [40] とか、当時の学者とか建築家に関わる人がいろんな復興案を出してる。結局はほぼ元通りになっちゃうんだけど。

O
ノートルダム大聖堂 [41] もそうです。火災のあと、いろんな案が出たけど、結局元の姿に戻りました。

T
元通りにするのが、手続きが一番簡単なんです。
こっちの案を見ると、ここが山になってる。日本庭園だと、どこかに「ここから眺める」という全体を見る視点を作ることがありますよね。築山とか。

O
地図の描き方として、「視点」ってどう扱われるんですか。

T
地図における視点って、時代や描き方によってかなり違うんです。例えば、昔の絵図だと、山は横から描かれてるのに、街は上から描かれてたりする。都市図でも、少し離れたところから街全体を一望するような絵が多い。

O
昔の地図って、見るのが難しいですよね。博物館とかに中世の地図が展示されてるじゃないですか。ぱっと見ても、どの向きでどう読めばいいのかわからない。

T
今の地図の見方が身体化されているからでしょうね。

O
今の地図の様式に統一されたのは、いつ頃からなんですか?

T
日本の場合は、明治時代がひとつの転換点ですね。フランス式 [42] とドイツ式 [43] の地図が入ってきて、最終的にはドイツ式が残るんです。そのときに、川をどういう線で描くのか、建物をどう描くのか、という表現のルールも一緒に入ってくる。そういうものがリテラシーとして受け継がれてるんだと思います。

T
例えば、この地図でも水は「水色」で、自然があるところは「緑」になってる。でも、水を水色で描くことって、別に自明じゃないんです。昔の地図だと水が緑だったりするし、いろんなバリエーションがある。

O
それでいうと、この間、ジュゼッペ・テラーニ [44] の『ダンテウム [45] 』の図面を見ていて、似たことを思いました。円柱部分が黒く塗りつぶされているので、ものすごく暗い空間に見える。でも実際にはガラスの透明な柱なので、ものすごく明るい空間なんです。地図も図面も、表現の仕方によって印象が変わりますよね。

T
それでいうと、「メルカトル図法 [46] 」についても、長く議論されていますよね。

O
地図によって僕らは空間を把握して、仮想であっても、それがリアリティになってきますから。

T
最近だと「イコールアース図法 [47] 」を使おう、という流れもありますよね。この図法自体はごく最近の発明というわけではなく、何年か前からあるんだけど、それが今になって国連で議論される大きな話になってるのが面白い。

O
鳴川肇 [48] さんが考案した「オーサグラフ [49] 」もありますね。面積比が正確に表現されているので、世界の印象が変わりました。

T
地図の場合は、「どんな図法でも必ずどこかが歪む」ということが、基本的に共有されているじゃないですか。一方で建築図面の場合は、平面図、立面図、断面図があれば、建築を正確に表現できる。でも、図面と建築の関係って、かつては必ずしもそうではなかったんですよね。

O
ロビン・エヴァンスの話に戻ってきましたね。僕も読んだんですけど、めちゃくちゃ面白かったです。マリオ・カルポ [50] の『デジタル・ターン [51] 』は、かなり影響されていると思いました。

T
岡﨑乾二郎 [52] の『ルネサンス 経験の条件 [53] 』も、今の話とかなり近いと思います。

O
あれは名著ですよね。

T
あれも結局、透視図法 [54] そのものが経験に関与してる、という話。

O
僕らは、空間の奥行きと、そこにあるオブジェクトの色や形を、全部ひとつの「空間」の中にあるものとして考えるじゃないですか。でも、本当はそれぞれ別の認識のはずで。それをひとつの空間として捉えられるようになったことに、透視図法がかなり影響してる。だから透視図法って、単なる画法じゃなくて、空間をどう認識するかというパラダイムにも影響を与えてる、という話だと思ってます。

T
透視図法との関係でいうと、15世紀のルネサンス [55] に遠近法 [56] が体系化されますよね。一方、ロビン・エヴァンスは、17世紀頃に発展した「ステレオトミー [57] 」という、石を切るための図法幾何学が理論化されていく過程を絡めて論じているんです。
でも、これって透視図法とかなり近い話だと思うんです。どちらも視覚や空間の認識に関わる話なんだけど、その関係について触れている書物って、あんまり多くはないんですよね。

O
それって「マッピング」にもつながりそうですね。「mapping」って、地図をつくるという意味もあるけど、数学では「写像」という意味でも使うじゃないですか。現実の空間を地図にマッピングする。設計者が考えたものを図面にマッピングする。

T
何かを別の形式に移すときって、完全に同じものがそのまま移動するわけじゃない。その変換の方法自体が、僕らが世界をどう見るかに関わってるんだと思います。

17:23

O
ニューヨークやヨーロッパの旧市街って、道が一方通行のことが多いじゃないですか。あれ、すごく歩きやすいなと思います。

T
旧市街って、そもそも道路が狭いですから。

O
一方通行じゃないとぶつかっちゃうか、どっちかがバックし続けるという悲劇が起きる。

T
日本にはぱっと見でわかる旧市街があまりない。

O
旧市街って、そもそもどういう街なんですか。

T
旧市街というのは、基本的には中世や近世までにつくられた街の中心部を指しますね。自動車が登場する前の街なので、道幅もせいぜい馬車が通るくらいのスケールなんですよ。

O
ちょうど現れましたよ。あれ、馬の水飲み場 [58] 。

T
あ、そうなんだ。

O
だからあれかな、このあたりの道も馬車の回転半径とかでアールが決まっているのかな。

T
確かにその可能性はありますね。
馬車以前からある、ヴェネチア [59] の中心部とか、フランスの中世の街とかって、基本的に道路は狭くて、歩行者ベースなんですよ。だから、パリとかロンドンが、交通の問題で自動車を減らして、歩行者や自転車を優先しましょうっていう話は、たぶん本来的にはやりやすいんですよね。

O
ロンドンもそうなんですね。

T
ロンドンもそうです。それから自動車ができた頃に、消防車だけは通りたいっていうニーズが出てくる、と聞いたことがある。店の角だけ削っているところがあるじゃないですか。

O
あれは消防車が理由なのか。 僕は出会い頭が危ないからだと思ってました。
バルセロナとかも、グリッドの角 [60] のところは削ってますよね。

T
バルセロナはもう少し近代にできた街だから、何か別の理由でやってたんだと思います。

O
あれは、おそらく交差点がちょっとした広場みたいになるように。

T
そういう意味で言うと、日本は江戸時代から意外と道が広いところがある。

O
江戸の道はなんで広いんだろう。

T
江戸と違って、ヨーロッパの中世都市には城壁に囲まれた街が多かったんです。その内側の限られた土地に建物が密集するので、道も狭くなりやすかった。

O
ヨーロッパを旅してると、街と街の間は何にもないなって思うんです。ギュッと街になって、荒涼とした風景があって、また街になる。でも日本だと、新幹線に乗ってても外の景色は割とずっと人けがありますよね。

T
それは僕も最初に旅行したとき思いました。ヨーロッパって、電車に乗っていると人工物が目に入らないゾーンがあるんですよね。あれは結構衝撃的でした。

O
僕らは日本でずっと、何かしら人の手が入ったものを見続けている。それは空間体験としてでかいかもしれない。

T
本当に調査で小さい町を点々としていくと、車で走っていて、向こうから街が見えてくる。

O
20代でポルトガルに住んでいた頃に村巡りをしていたんですけど、山の上にぽつんと集落みたいなものが見えてくる。モンサント [61] とか。

T
最初に教会の塔が見えてきてね。多分、中世の人もそういう体験だったのでしょうね。

O
日本で何も手が加わっていない場所を見るには、山に登る必要がありますね。

T
そういうことは、地図のつくり方にも関わるんですよ。ヨーロッパで、通りの名前に隣の町の名前がついてることがあるじゃないですか。その道を行けば隣の町に行けるから、別に地図は必要ないんですよ。

O
道そのものが案内になってる。

T
だから都市図だけあればいいという話になってきて、リージョン的なものの把握は、それほど重要ではないんです。領域的に把握したい人っていうのは、例えば、ある領域を統治する人とか、ある種の権力者なんです。そういう人には、その視点が必要になってくる。そうすると、国土図 [62] とか、そのテリトリーを示す、何もないところも含めた地図が必要になってくる。

O
何もないところも「領域」になるのか。

T
そうですね。だから、要は「図と地」がはっきりしてたっていうか。昔のヨーロッパは、そういう世界観だったんじゃないかなという気がしますね。

17:40

T
あ、鶴がいる。最初の池は亀でしたね。
池で亀を捕ったことあります?

O
ないです。

T
自然の中にいる亀とか虫とかって、子供は見つけるじゃないですか。なんで見つけられるんだろうって、考えたことがあって。

O
気になります。

T
動くからっていうのも当然あるんだけど、動物ってだいたい左右対称なんですよ。だから、自然物の中に局所的に左右対称なものがあると、人間はそれを本能的にピックアップするんじゃないかと。だからこそ、建築物にシンメトリー [63] を使うと、すごく強烈な印象を与えるんだと思います。

O
シミュラクラ現象 [64] ってありますよね。

T
顔に見えるやつ。あれも近い話ですね。

O
それこそアルヴァロ・シザ [65] が、ポルト大学 [66] でやってるんです。

T
ありましたっけ、そんなの。ポルト大学って、超モダンなイメージでした。

O
ポルト大学の建築学部棟で、そのうちの一個がめちゃめちゃ顔に見えるんですよ。結構、茶目っ気があるやつなんですけど。シザを論文で扱ったときも、それだけイレギュラーすぎて扱えなくて。これを入れると、それまでのグルーピングが変わっちゃう。むしろ、そういうグルーピングから逃れようとしてつくったのでは、くらいの。

T
こういうの、面白いと思うんです。範例はあるんですけど、我々には読めないです。

O
「触地図 [67] 」ですね。

T
目の不自由な人がどうやって空間を把握してるのかって、伊藤亜紗 [68] さんの本があった気がするけど。

O
この、細かくS字にカーブしてる道とか、どうやって伝えているのかな。

T
スケールがないじゃないですか。あと、この情報だけじゃなくて、足から伝わってくるものもある。音とかもそうですよね。我々にはわからない知覚があるんだなって思います。

O
高低差とかはこの地図では表現しにくそうですよね。立体にしても、盲牌 [69] みたいな状況。そこまでセンサリングできるのかな。

T
その辺は、実際に話を聞くべきですよね。我々が目をつぶればいいっていう気もするけど、それでは多分たどり着けない何かがあるんだろう。

O
音なんかも情報源として重要になりそうです。日比谷公園の場合は、車の音が聞こえてきたら、端まで来たなって感じるから。

T
ちょうど対角線で歩いてきましたね。

O
最後にコーヒーはいかがですか。 最近の散歩は大体コーヒーで終わります。

T
それでは、ぜひ。

散歩を終えて

取材当日、私は日比谷公園の地図を一枚印刷して、「連想の練習」に臨む。歩くルートはその場の成り行きで決まるので、道筋を忘れないように、歩きながらすばやく線を引いていく。散歩が終わると、手元には、その日歩いた軌跡が刻まれた地図が残る。

地図に残された一本の線。それを見返すたびに、今日の散歩はこんなものだっただろうか、と思う。そこには、カワセミの囀りも、梅雨の空気の湿り気も、葉にぽつぽつと当たる雨音も記されていない。散歩という体験を平面に置き換えるとき、どうしてもこぼれ落ちてしまうものがある。

東辻さんの著書『地図とその分身たち』は、次のような文章で締めくくられている。

「基底のありさまに、つまり世界の肌理に心を奪われることは、おそらく、言葉や名を忘れることへの憧憬のようなものなのだ。失われてゆく世界の奥行きに手を伸ばすのではなく、むしろ遮られた奥行きに触れて沈黙し、その不在の触覚の囁きに耳を澄ますこと。そこに立ち尽くす自らに危うい揺らぎを、つまりはよろこびを見出すこと。」

そこに記されていないものを惜しむのではなく、その不在に耳を澄ませること。そう考えると、地図に残された一本の線も、散歩という体験を矮小化したものではなくなっていく。むしろ、その線を手がかりに、そこには描かれなかった風景や、交わした言葉、そのときの感覚へと想像を巡らせることができる入り口になる。

目の前の何かから別の何かへと話が広がっていったように、一本の線からも、さまざまな記憶や風景が連なっていく。地図の上では終わった散歩も、連想のなかでは、まだ続いているのかもしれない。

  • [1] 日比谷公園の石垣

    江戸時代、この一帯には大名屋敷が置かれており、石垣はその敷地を区切るためにつくられたものとされる。1903年の開園に際して、既存の石垣や地形の一部が公園の景観に取り込まれた。現在も、近代的な都市公園のなかに江戸時代の土地の歴史を伝えている。

  • [2] 日本庭園

    池や石、樹木、築山などを組み合わせ、自然の風景を縮景したり、象徴的に表現したりすることを特徴とする。寺院の庭園や大名庭園、茶庭など、時代や用途によって多様な形式が生まれた。眺める位置や歩く経路、季節の変化なども、庭園を体験する重要な要素となる。

  • [3] 心字池

    池の輪郭を漢字の「心」の字になぞらえてつくられた池。日本庭園で用いられる形式のひとつで、見る位置や歩く方向によって水面や周囲の景観が変化する。庭園の回遊性や象徴性と結びついて設けられることも多い。

  • [4] 三四郎池

    東京大学本郷キャンパス内にある池の通称。正式名称は「育徳園心字池」。江戸時代には加賀藩前田家の庭園の一部であり、夏目漱石の小説『三四郎』に登場したことから、後に「三四郎池」の名で広く知られるようになった。

  • [5] カワセミ

    カワセミ科の鳥。鮮やかな青色の背と橙色の腹を持ち、「飛ぶ宝石」と呼ばれることもある。川や池などの水辺で暮らし、水面上から飛び込んで小魚や水生生物を捕らえる。都市部でも、水辺と餌、生息に適した環境が整った公園や河川などで見られる。

  • [6] 自然教育園

    東京都港区白金台にある国立科学博物館附属の自然緑地。都市部にありながら、森林、草地、池、湿地など多様な環境が残され、多くの植物や昆虫、鳥類などが生息する。自然環境をできるだけ自然の推移に委ねながら保存し、長期的な生態調査や自然教育にも利用されている。

  • [7] 有栖川記念公園

    東京都港区南麻布にある区立公園。江戸時代には盛岡藩南部家の下屋敷が置かれ、明治時代には有栖川宮家の御用地となった。起伏に富んだ地形を生かし、池や渓流、滝、樹林などが配置されている。都心にありながら自然の地形を感じられる公園として知られる。

  • [8] バレンシア

    スペイン東部、地中海沿岸に位置する都市。バレンシア州の州都で、スペインを代表する都市のひとつ。旧市街から現代建築まで多様な都市景観を持つ。周辺には稲作地帯やオレンジ畑が広がり、パエリア発祥の地としても知られている。

  • [9] トゥリア庭園

    スペイン・バレンシアにある大規模な都市公園。1957年の大洪水を契機にトゥリア川の流路が市街地の外へ付け替えられ、その旧河床を利用して整備された。市街地を約9kmにわたって横断し、周囲の街路より低い、かつての川底を歩くという独特の空間体験を生み出している。

  • [10] ライムストーン

    石灰岩。主に炭酸カルシウムからなる堆積岩で、海中の生物の殻や骨格などが堆積して形成されるものも多い。比較的加工しやすく、ヨーロッパでは古代から彫刻や建築の石材として広く利用されてきた。セメントや石灰の主要な原料でもある。

  • [11] 花崗岩

    地下深くでマグマがゆっくりと冷えて固まることで形成される火成岩の一種。石英や長石などからなり、硬く耐久性が高い。建築の外装、石畳、土木構造物、墓石など幅広く使われ、日本では石材として「御影石」と呼ばれることも多い。

  • [12] 組積造

    石、レンガ、コンクリートブロックなど比較的小さな材料を積み重ね、壁や構造体をつくる建築工法。ヨーロッパをはじめ世界各地で古くから用いられてきた。石やレンガは圧縮には強い一方、引っ張る力には弱いため、地震の多い地域では補強などが重要になる。

  • [13] 熊本城

    熊本県熊本市にある城。加藤清正によって1607年頃に築かれたとされ、高く反り返った石垣などで知られる。2016年の熊本地震では建造物だけでなく石垣も広範囲に崩落・変形した。現在も文化財としての価値を保ちながら復旧する長期的な工事が続けられている。

  • [14] オリーブ

    モクセイ科の常緑樹。地中海沿岸を中心に数千年前から栽培され、果実やそこから採れるオリーブオイルは食文化の重要な一部となってきた。乾燥した気候に比較的強く、スペインは世界有数のオリーブ生産国として知られる。

  • [15] パエリア

    スペイン・バレンシア地方発祥とされる米料理。「パエリア」という名称は、もともと調理に使う平たく浅い鍋を意味する。伝統的なバレンシア風では、鶏肉やウサギ肉、豆類などを米とともに炊き上げる。魚介類を使ったものを含め、現在では多くのバリエーションがある。

  • [16] 備長炭

    高温で焼き上げる「白炭」の一種。硬く、火力が安定し、長時間燃焼することから、特に料理用の炭として重宝されている。「備長」の名称は江戸時代、紀州の炭問屋・備中屋長左衛門の名に由来するとされる。

  • [17] ナナカマド

    バラ科の落葉樹。日本では北海道から九州の山地などに分布し、秋になると葉が鮮やかに紅葉し、赤い実をつける。「七度かまどに入れても燃え残るほど燃えにくい」ことが名前の由来とされることがあるが、由来には諸説ある。

  • [18] GPS

    Global Positioning Systemの略。複数の人工衛星から送られる信号を受信し、それぞれの信号が届くまでの時間などから地球上の位置を計算する衛星測位システム。もともとはアメリカで開発され、現在ではスマートフォン、カーナビ、測量、物流、農業など幅広い分野で利用されている。

  • [19] ルンバ

    iRobotが展開するロボット掃除機のシリーズ。センサーなどを用いて周囲の障害物や室内環境を把握し、自律的に移動しながら床を清掃する。世代によって仕組みは異なるが、近年のモデルにはカメラなどによって空間を把握し、室内のマップを作成するものもある。

  • [20] 伊能忠敬

    1745〜1818年。江戸時代後期の商人、測量家。50歳で隠居した後、江戸に出て天文学や測量を学び、幕府の事業として約17年間にわたって日本各地を測量した。地点間の距離や方位を測りながら測量を積み重ね、その成果は死後の1821年、弟子たちによって「大日本沿海輿地全図」として完成した。近代的な測量以前の日本地図として非常に高い精度を持つことで知られる。

  • [21] イギリス式庭園

    18世紀のイギリスで発達した庭園様式。「イギリス風景式庭園」とも呼ばれる。左右対称の軸線や幾何学的な花壇を特徴とするフランス式庭園などに対し、起伏のある芝生、曲線的な池や園路、樹木などを配置し、自然の風景のように見せることを重視した。ただし、その「自然らしさ」自体が綿密に設計されたものである点に特徴がある。

  • [22] 回遊式庭園

    園内を歩いて移動しながら、次々に変化する景色を鑑賞するようにつくられた庭園形式。日本では池を中心に園路を巡らせる「池泉回遊式庭園」が江戸時代の大名庭園などで発達した。歩く人の位置や向きによって異なる景観が現れるため、「どの経路を歩かせ、何を見せるか」そのものが庭園設計の重要な要素となる。

  • [23] ナラティブ

    「物語」や「語り」を意味する言葉。単なる出来事の記録ではなく、複数の出来事や情報を一定の順序や関係性のもとに結びつけ、意味のある物語として捉えることを指す。建築や都市の分野では、空間を移動するなかで生まれる体験や、場所に付随する記憶などを説明する際にも用いられる。

  • [24] アフォーダンス

    アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンが提唱した概念。環境や物が、ある生物に対して提供する「行為の可能性」を指す。例えば、ある高さと形を持った平面が人間にとって「座れる」ものになるように、環境の性質と行為者の身体能力との関係によって生じる。後にデザインなどの領域にも応用されるようになった。

  • [25] ヒキガエル

    ヒキガエル科に属するカエルの総称。陸上で生活する時間が長いが、繁殖期には産卵のため池などへ移動する。普段の生活場所から離れた繁殖地へ戻る能力を持つ種もあり、動物が周囲の空間や方角をどのように認識しているのかを考える研究対象にもなっている。

  • [26] 8の字ダンス

    ミツバチが仲間に餌場などの位置を伝えるために行う行動。「尻振りダンス(waggle dance)」とも呼ばれる。巣板の上を8の字状に動き、その中央を走る方向や時間などによって、太陽を基準とした餌場の方角や、おおよその距離に関する情報を伝える。動物が空間情報を他個体へ伝達する代表的な例として知られる。

  • [27] 世界最古の地図

    紀元前6世紀頃の古代バビロニアでつくられた粘土板が世界最古の地図のひとつと呼ばれる。バビロンを中心に都市や河川が描かれ、その周囲を円形の海が取り囲んでいる。実際の地理を正確に表すというよりも、当時の人々が世界をどのように認識していたかを示す地図であり、現在は大英博物館に所蔵されている。

  • [28] ガヴァガイ問題

    アメリカの哲学者ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインが、言葉の翻訳や意味の不確定性を説明するために提示した思考実験。未知の言語を話す人がウサギを見て「ガヴァガイ」と言ったとしても、それが「ウサギ」を意味するのか、「ウサギの一部」や「ウサギが現れたこと」を意味するのかは、観察だけでは一意に決められない。目の前のものと記号の「対応関係」は、必ずしも自明ではないことを示す議論。

  • [29] 大航海時代

    15世紀末から17世紀頃にかけて、ポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国がアフリカ、アジア、アメリカ大陸などへの海上進出を活発化させた時代。長距離航海の必要から、航海術、天文学、測量、地図製作なども発展した。一方で、ヨーロッパ諸国による植民地支配や奴隷貿易の拡大とも深く結びついている。

  • [30] 配置図

    建物が敷地のどこに置かれるのかを、主に上から見た形で示す建築図面。敷地境界、道路、建物の位置や向き、周辺との距離などが記載される。建物単体ではなく、敷地や周辺環境との位置関係を把握するための図面といえる。

  • [31] 外構図

    建物の外側にある空間や設備を示す図面。門や塀、舗装、植栽、駐車場、階段、排水設備などの位置や仕様が記される。ランドスケープや建築と道路との関係を計画するうえでも重要な図面となる。

  • [32] プレカット図

    木造建築などで使われる柱や梁といった部材を、工場であらかじめ加工するためにつくられる図面。各部材の長さや断面、接合部、穴などの加工情報が記載される。現在の木造住宅では、コンピューターで設計情報を処理し、機械で部材を加工するプレカットが広く普及している。

  • [33] ロビン・エヴァンス

    1944〜1993年。イギリスの建築史家、建築理論家。建築を生み出す図面、幾何学、投影法などに注目した。著書に『Translations from Drawing to Building and Other Essays』『The Projective Cast』がある。建築図面を単なる情報伝達の手段ではなく、図法そのものが建築の形や設計者の思考に作用する「媒介」として捉えた。

  • [34] ベジェ曲線

    複数の「制御点」によって滑らかな曲線を表現する数学的手法。現在ではCAD、CG、フォント、グラフィックデザインなど幅広い分野で利用されている。20世紀のフランスの自動車産業で、複雑な車体形状を数学的に設計する技術として発展した。設計ツール上で扱いやすい曲線が、新しい製品や建築の形を生み出す例としても捉えられる。

  • [35] CAD

    Computer-Aided Designの略。コンピューターを利用して設計や製図を行う技術、またはそのためのソフトウェアを指す。手描きでは困難だった複雑な形状を正確に作図したり、修正や複製を容易にしたりできる。建築、機械、製品、土木など幅広い分野で使われ、設計者が考えられる形そのものにも影響を与えてきた。

  • [36] ル・コルビュジエ

    1887〜1965年。スイス生まれで、フランスを拠点に活動した建築家、都市計画家。本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。ピロティ、屋上庭園、自由な平面などからなる「近代建築の五原則」を提唱し、20世紀の建築に大きな影響を与えた。代表作にサヴォア邸、ロンシャンの礼拝堂などがある。

  • [37] 辰野金吾

    1854〜1919年。日本の近代建築を代表する建築家。工部大学校でジョサイア・コンドルに学び、後に東京帝国大学教授などを務めた。代表作に日本銀行本店、東京駅丸の内駅舎などがある。西洋の建築技術や様式を日本に導入するとともに、教育者として多くの建築家を育て、日本の近代建築の形成に大きな役割を果たした。

  • [38] ロンドン大火

    1666年にロンドンで発生した大火災。数日間にわたって燃え続け、中世以来の市街地の大部分を焼失させた。火災後にはクリストファー・レンらが、広い直線道路や広場を持つ新たな都市計画を提案したが、土地所有などの問題から全面的な再編は実現せず、道路網の多くは従来の形を引き継いだ。

  • [39] クリストファー・レン

    1632〜1723年。イギリスの建築家、天文学者、数学者。ロンドン大火後の都市復興に深く関わり、焼失した教会の再建を数多く手がけた。代表作のセント・ポール大聖堂は、現在もロンドンを象徴する建築のひとつである。

  • [40] ロバート・フック

    1635〜1703年。イギリスの科学者、建築家。弾性に関する「フックの法則」で知られるほか、顕微鏡観察、天文学、時計など多様な分野で研究を行った。ロンドン大火後には測量家として市街地の測量や復興に携わり、クリストファー・レンとも協働した。

  • [41] ノートルダム大聖堂

    フランス・パリのシテ島にある大聖堂。12世紀に建設が始まったゴシック建築の代表例で、長い歴史のなかで改修や修復が繰り返されてきた。2019年の火災で尖塔や屋根などが焼失。再建方法をめぐって現代的な案も議論されたが、最終的には火災前の姿を基本として修復され、2024年に一般公開が再開された。

  • [42] フランス式地図

    明治初期の日本で導入された、フランスの地図製作技術に基づく地形図。1880年から関東地方で作製された「迅速測図原図」では、地形や植生、土地利用などを色彩や描画によって細かく表現している。絵画的で視覚的に豊かな表現が特徴で、当時の風景や土地の使われ方を読み取ることができる。

  • [43] ドイツ式地図

    明治時代、日本の陸軍がフランス式に代わって採用したドイツの地図製作方式に基づく地形図。彩色を多用するフランス式に対し、主に単色の線や記号によって地形や土地利用を表現する。明治期の迅速測図も、原図はフランス式の彩色図だったが、刊行時にはドイツ式の単色図に変更された。全国的な地形図の整備にもドイツの測量技術が取り入れられた。

  • [44] ジュゼッペ・テラーニ

    1904〜1943年。イタリアの建築家。20世紀前半のイタリア合理主義建築を代表する人物の一人で、幾何学的な構成と抽象的な空間表現で知られる。代表作に、コモの「カサ・デル・ファッショ」がある。

  • [45] ダンテウム

    ジュゼッペ・テラーニらが1930年代にローマで計画した建築。イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリと代表作『神曲』を記念する施設として構想されたが、実際には建設されなかった。『神曲』に描かれる「地獄」「煉獄」「天国」などを、柱や壁、光、空間の構成によって建築的に表現しようとした計画として知られる。

  • [46] メルカトル図法

    16世紀に地理学者ゲラルドゥス・メルカトルが考案した地図投影法。球面である地球を平面へ移す方法のひとつで、局所的な角度を正しく表現できる。一定の方角へ進む航路を地図上の直線として描けるため、航海に大きな役割を果たした。一方、赤道から離れるほど面積が拡大して表現されるため、グリーンランドなど高緯度の地域が実際より大きく見える。

  • [47] イコールアース図法

    2018年にボヤン・シャヴリッチ、トム・パターソン、ベルンハルト・イェニーによって考案された世界地図の投影法。大陸や国家などの面積比を正しく保つ「正積図法」でありながら、世界全体を比較的見慣れた形で表現することを目指している。ロビンソン図法に着想を得て開発された。

  • [48] 鳴川肇

    1971年生まれ。日本の建築家、デザイナー。東京藝術大学などで建築を学び、幾何学や数学を応用したデザインの研究・制作を行う。1999年に考案した世界地図の投影方法「オーサグラフ」で知られ、2016年には同作品でグッドデザイン大賞を受賞した。球体を平面へ展開する方法の研究を通じて、地図の表現だけでなく、空間や形態の新しい捉え方を探究している。

  • [49] オーサグラフ

    建築家・鳴川肇が1999年に考案した世界地図の投影方法。球面を細かく分割し、四面体を介して長方形へ展開することで、従来の世界地図に見られる面積や形状の歪みを抑えることを目指している。また、地図を上下左右に並べても世界が連続するという特徴を持つ。

  • [50] マリオ・カルポ

    1958年生まれ。イタリア出身の建築史家、建築理論家。建築と印刷、複製、コンピューターなどの技術との関係を研究している。著書に『Architecture in the Age of Printing』『The Alphabet and the Algorithm』『The Second Digital Turn』などがある。特にデジタル技術が建築の設計や生産、さらには設計者の思考そのものをどのように変えるかを論じている。

  • [51] デジタル・ターン

    マリオ・カルポによる著作『The Second Digital Turn: Design Beyond Intelligence』の邦訳。コンピューターによる計算やアルゴリズム、ビッグデータなどが、現代建築の設計やものづくりをどう変えつつあるのかを論じる。デジタル技術を単なる設計道具ではなく、建築の形や設計思想そのものを変えるものとして扱っている。

  • [52] 岡﨑乾二郎

    1955年生まれ。造形作家、批評家。絵画、彫刻、建築など幅広い領域で制作・執筆活動を行う。著書に『ルネサンス 経験の条件』『抽象の力』『感覚のエデン』などがある。2019〜20年に豊田市美術館で「視覚のカイソウ」、2025年には東京都現代美術館で「而今而後 ジコンジゴ Time Unfolding Here」が開催された。作品制作と批評の両面から、知覚や空間、芸術が成立する仕組みについて考察している。

  • [53] ルネサンス 経験の条件

    岡﨑乾二郎による著作。ルネサンス期の絵画、建築、遠近法などを手がかりに、人間が空間や物をどのように知覚し、経験するのかを考察する。遠近法を単なる絵画技法としてではなく、世界や空間を認識する枠組みそのものに関わる問題として論じている。

  • [54] 透視図法

    ある視点から見た三次元空間を、二次元の平面上に投影して表現する方法。建築では、完成後の建物や空間がどのように見えるかを表現する「パース」などに利用される。平面図や断面図のように対象を一定方向から平行に投影する図法とは異なり、見る人の位置を設定する点に特徴がある。

  • [55] ルネサンス

    14〜16世紀頃のヨーロッパを中心に展開した文化・思想上の運動。「再生」を意味し、古代ギリシャ・ローマの文化や知識を再評価する動きから、美術、建築、文学、科学など多くの領域で新しい表現や思想が生まれた。絵画では線遠近法が体系化され、空間を一つの視点から幾何学的に表現する方法が発達した。

  • [56] 遠近法

    平面上に奥行きのある空間を表現するための方法の総称。特に15世紀のルネサンス期に体系化された線遠近法では、奥へ伸びる平行線を消失点へ収束させることで、一定の視点から見た三次元空間を二次元上に構成する。単なる描画技法だけでなく、人間が空間をどのように捉えるかという問題とも結びつけて論じられてきた。

  • [57] ステレオトミー(截石術)

    石材などの立体的な部材を、建築に必要な形へ正確に切り出すための幾何学的な技法・理論。特に16〜17世紀頃のヨーロッパで、複雑なアーチやヴォールトを石造でつくるための作図法として発達した。完成した立体から、それを構成する個々の石の形を幾何学的に導き出す必要があり、建築と投影図法の発展に深く関係している。

  • [58] 馬の水飲み場

    日比谷公園に残る、馬が水を飲むためにつくられた水飲み場。自動車が都市交通の中心となる以前、馬が人や物を運ぶ重要な移動手段であった時代の都市設備の一例である。現在の公園に残るこうした設備から、かつての都市における人間と動物、交通との関係を読み取ることができる。

  • [59] ヴェネチア

    イタリア北東部、アドリア海に面する都市。潟に浮かぶ多数の島々を橋で結び、運河と細い路地によって都市が構成されている。歴史的中心部は自動車が走ることを前提につくられておらず、現在も徒歩と船が主要な移動手段。自動車以前の都市スケールが現在まで強く残る代表的な都市のひとつ。

  • [60] グリッドの角

    バルセロナのエシャンプラ地区に見られる、格子状の街区の四隅を斜めに切り落とした形状。19世紀に都市計画家イルデフォンソ・セルダが構想した都市拡張計画によって整備された。スペイン語では「チャフラン」と呼ばれ、交差点の見通しを確保し、交通が曲がるための空間を広げるとともに、採光や通風にも寄与する。

  • [61] モンサント

    ポルトガル中東部、スペインとの国境に近い丘陵地帯にある村。巨大な花崗岩の岩塊が点在する山の斜面に集落が形成され、岩の間に住宅が建てられたり、岩そのものが建物の壁や屋根の一部として利用されたりしている。丘の頂上には中世の城跡が残り、周囲の平野から岩山に密集した集落を望むことができる。独特の景観から「ポルトガルで最もポルトガルらしい村」として知られる。

  • [62] 国土図

    一つの国や広い領域を対象として、地形、河川、道路、都市、行政界などを体系的に表した地図。近代国家の成立とともに、税制、土地管理、軍事、道路整備などのため、国土全体を統一された基準で測量し地図化する必要性が高まった。

  • [63] シンメトリー

    左右対称など、ある軸や中心を基準として形や配置が対応している状態。「対称性」とも呼ばれ、建築、美術、デザインなど幅広い分野で用いられる。人間を含む多くの動物の身体には左右対称の構造が見られ、視覚的にも認識されやすい特徴がある。建築では、建物の正面や空間構成にシンメトリーを用いることで、秩序や安定感、中心性などを生み出すことができる。

  • [64] シミュラクラ現象

    本来は顔ではない物体の模様や配置を、人間の顔として認識してしまう現象。例えば建物の二つの窓と入口が「目と口」のように見えることなどがある。人間が顔に似た配置を非常に敏感に検出する性質と関係し、より広く、曖昧な視覚情報から意味のある形を見出す「パレイドリア」の一種として説明されることもある。

  • [65] アルヴァロ・シザ

    1933年生まれ。ポルトガルを代表する建築家。地形や光、既存の街並みとの関係を丁寧に読み取った建築で知られ、1992年にプリツカー賞を受賞した。代表作に「レサのスイミングプール」「ボア・ノヴァのティーハウス」「ポルト大学建築学部」「セラルヴェス現代美術館」などがある。スケッチを重ねながら敷地を読み解く設計方法でも知られる。

  • [66] ポルト大学

    ポルトガル北部の都市ポルトにある国立大学。なかでも建築学部は、アルヴァロ・シザやエドゥアルド・ソウト・デ・モウラなどを輩出した「ポルト派」と呼ばれる建築文化の中心として知られる。建築学部の校舎群も同大学出身のシザが設計しており、複数の建物を地形に沿って配置している。

  • [67] 触地図

    視覚に頼らず、指で触れることで場所や経路、空間の構成を把握できるようにつくられた地図。「触知図」とも呼ばれる。道路や建物、階段などを凹凸、線、点、異なるテクスチャーなどで表し、点字による説明が加えられることもある。

  • [68] 伊藤亜紗

    1979年生まれ。美学者。身体、感覚、障害などをテーマに研究している。著書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』では、視覚障害者への聞き取りなどを通じ、視覚に頼らない空間認識や身体感覚について考察している。「見えない」ことを単に視覚情報が欠けた状態としてではなく、異なる方法で世界を捉える身体のあり方として論じている。

  • [69] 盲牌

    麻雀で、牌の表面に刻まれた模様を指先で触るだけで、その牌が何であるかを判別すること。牌の種類によって異なる彫りの形を触覚で覚えることで可能になる。

この記事をシェアする

FRL