デジタル領域が可能にする、
意思の力に頼らないリペア
2026.08.23 Sun

前回の森林の修復のリサーチにおいて、「誰かに使ってもらうために直す」「次世代のために手入れする」といった、他者のための修復の可能性が示唆された。人々がリペアを選択するには内発的動機づけやコモンズ(共有物)としての意識が大きいと考えた時に、その醸成を個人の意志の力に頼るのではなく、環境や関係性のデザインによって実現できないだろうか。リペアを社会の中に組み込んでいくために、テクノロジーは有効な手段になり得るのだろうか。
そんな疑問を抱えた「ロフトワーク」クリエイティブディレクターの永島啓太さんとFRLの上沢勇人の二人が、今回リサーチの協力を求めたのはドミニク・チェンさん。日本におけるクリエイティブ・コモンズ(現行の著作権法では一律に制限されてしまう作品の再利用を著作者自らが開放できるシステム)の枠組みを整えたり、発酵をメタファーにしたテクノロジーの研究を進めるなど、デジタル・ウェルビーイングの観点からテクノロジーと人間のより良い関係性を研究し続ける気鋭の情報学者だ。テクノロジーや発酵の観点からリペア社会の未来を占うべく、彼が主宰するマイクロパブリックスペース「學*酵」を訪ねた。
ドミニク・チェン
1981年、東京生まれ。早稲田大学文学学術院教授。台湾、ベトナムと日本をルーツに持つ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業し、東京大学大学院で博士号(学際情報学)を取得。2004年にNPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。現在は「発酵メディア研究」という屋号で人と微生物が会話できるぬか床ロボット「Nukabot」をデザインしたり、人が他者と相互依存的に生きるための哲学としての発酵概念を探求している。著書に『未来をつくる言葉』(新潮社)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』(フィルムアート社)など。

不完全さが人の行動を引き出す
人々がリペアを選択する動機をリサーチしていく中で、様々な要因があるということが見えてきました。それこそ愛着によるものもあれば、経済合理性を考える人や、社会やコミュニティ的な規範に突き動かされてやる人もいる。コスパが良ければ誰もがやるというものでもなければ、コミュニティがすべてを解決してくれるものでもないとわかったうえで、人々の善意や規範に頼らずにリペアのムーブメントを広げていくにはどうしたらいいだろうかと探索を続けています。今日はドミニクさんにデジタル領域におけるリペアの可能性も視野に入れて、新たな方向性を示すような問いを一緒に見出せたらと思っています。

すぐに答えが出るものではありませんが、とても興味深いテーマだと思います。まず規範の部分ですよね。規範というものは大抵自分の外側にあるもの、いわゆる外的規範です。法律や職場や学校のルールを守ることであったり、あとは空気を読んで周りに合わせることもそうですよね。「環境のためにはリペアした方がいいよね」だと、押し付けられるものになりがちで長続きしない場合が多いので、自分の内側から込み上げてくる「これをなんとかしなきゃ」という内発的義務が必要になってきます。そして、それを生じさせる仕組みというのが、日常的なメンテナンスです。メンテナンスという言葉自体は機械や道具に使われることが多いですが、このテーブルを毎日拭き掃除することもメンテナンスですし、人間関係においても使われます。職場の人たちに「最近調子はどう?」と声をかけるのも関係性のメンテナンスというわけです。ケアという言葉にも置き換えられますね。対象をケアしたいという内発的義務は毎日のメンテナンスから生じる。これは環境倫理学者のマリア・プッチ・デラ・ベラカーサの理論モデルです。その発酵微生物への応用として、僕の場合は「ぬか床のケア」の研究をしてきました。
それがドミニクさんの開発された「Nukabot」ですね。
はい。ぬかの中に微生物がいっぱいいて、日々かき混ぜてあげないと腐ってしまうので、ぬか床の“メンテナンスを促すデザイン”として作ったものです。ぬかにセンサーを刺しておくことで、微生物と声によるコミュニケーションを取れるようにしています。「調子はどう?」と話しかけると、「もうちょっと混ぜないと腐っちゃうよ」とか「いい感じだよ」とアバウトに答えてくれます。技術的には、ぬか床の詳細な状態をチャート画面にしてスマホで見せることもできるのですが、あえて簡易的な声だけのコミュニケーションにすることで、“関わりしろ”を残しているんです。以前いくつかの家庭で10日間一緒に暮らしてもらう実験をしたのですが、7日目くらいになってくると「仕事に行ってる間にNukabotが自宅で助けを呼んでいないか気になってしまう」という興味深いフィードバックもありました。
自分で勝手に喋り出すんですか?
基本的に問いかけに答えるようになっていますが、かき混ぜを忘れていると、「そろそろ混ぜてくれないと腐っちゃうよ」とアラートを発します。
テクノロジーって、手間を排除するために進歩してきた側面があるはずなのに、手間暇をかけるメンテナンスとテクノロジーが組み合わさっているのが興味深いです。
Nukabot自体は、微生物と関わりたいという思いからスタートしているので。それに、問題解決のためのテクノロジーデザインというのは放っておいても誰かがやってくれるだろうから、僕はやらなくていいかなって思っているんです。自動でかき混ぜてくれるモーターを入れることも簡単にできますが、それをやってしまうと愛着形成が起こりづらくなってしまう。テクノロジーに任せっきりにするのではなく、時間的な労力といった自分のコストを払うことで、放っておけなくなる“関係性”を構築しようとしました。「モノとの接点で、人間が関われる余地を残すこと」とも言い換えられると思うんですよね。スマホアプリやAIは人間にラクをさせてくれて、他のことに充てる時間を作ってくれるけど、そうやっていろんなものを代行させていくうちに、世界との“関わりしろ”がどんどん削られていってしまうんじゃないかという気もしていて。おそらくリペアにおいては、「大変そう」とか「めんどくさそう」、「お金がかかりそう」といった負のバイアスを持つ人も多いと思うのですが、人が省きたがるそのプロセスそのものをいかに面白いものに翻訳するかが大事な気がしています。
人間って本能的に効率化を求めてしまいますからね。Nukabotのようなロボットが普及することは問題提起にとどまらず、社会にいい変化をもたらしそうです。
ロボット工学者の岡田美智男先生が提唱する「弱いロボット」という概念があります。ロボットとは、人間にできないことを可能にしてくれる強い存在として設計されることが大半ですが、弱いロボットというのは意図的に全部はできないように設計されています。タイプがいくつかあって、一番有名なのがゴミ箱の形をしたロボット。床にゴミが落ちていると、それを認識して拾おうと近づくのですが、ロボットには腕がついていないので自分では拾えない。それでゴミを拾いたそうに周りをウロウロしていると、通りかかった人はついゴミを拾ってしまうんですね。ロボットを通じて、いかに人間の行動を喚起するかを研究されてきた岡田先生は、人間にはこういう弱いロボットこそ必要なんじゃないかと言ってるんですね。
Nukabotに実装されているのも、一種の弱さみたいなところですか?
そうですね。そもそもぬか床自体が弱い存在で、人がかき混ぜないと腐ってしまいます。さらに、あえて壊れやすいものだと意識できるように、開発当初は木桶型の容器だったのですが、今は落としたら割れてしまう陶器に変えています。服においても、破れやすいからリペアが喚起されるところはあると思います。ちょうど今日着ているこのセーターも20年くらいリペアしながら着続けているのですが、袖のところがほつれやすくて、もう2回も修理に出しているのですが、やっぱりそうすることで愛着は湧きますね。

とても興味深いのですが、山で身を守るための服というゴールドウインの製品の特性上、あえて弱く設計するというのはどうしても相反するところがあって、難しいと思いました。スポーツウェアやアウトドア用のウェアは複合的な素材を接着して作られているため、リサイクルするには分解するコストがかかりますし、分解自体が困難なこともあります。これに関しては、ブランド事業会社だけではなく、サプライヤーも含めて産業全体で取り組む必要があります。なので、僕らにできるのは、少しでも製品寿命を伸ばしていくために高耐久な製品を作ること。ですが、そこにもジレンマを抱えていて、どれだけ長く使える“強さ”を持った製品を作ったとしても、それを長く使い続けるかどうかは結局、生活者次第。まだまだ使えるのに、捨てられてしまうこともあるかもしれません。アパレル産業において生活者とのリレーションを構築していくのは、ブランドの役目だと思っているので、生活者にリペアを促す取り組みとして今年から青山にある本社の1階で、みんなで服を直す場所「Goldwin Repair Club」を始めたんです。
他者を介在させていく具体的なアイデア
コミュニティを作るのはやはり有効だと思います。それこそこの場所も「リビングラボ」と銘打っていて、徐々に地域の人たちにひらいていきたいと思っているんです。Nukabotなどのプロダクトは、今まで研究者が考えて作ったものを世の中に提案するものでしたが、非専門家や想定ユーザーたちを巻き込んで一緒にアイディエーションするとか、共創型デザインみたいなことをしていかないと、いつまで経っても作る人と使う人の切り分けが固定化されてしまう。ぬか床などの各家庭で作られる発酵食には、お裾分けカルチャーが根付いているんですよ。きゅうりをたくさん漬けちゃったからとご近所や友人にお裾分けし合うように、カスタマーと呼ばれている人たちも、作るとか直すところに何らかの形で参加してもらうようになれば、リペアという行為が彼らの日常にどんどん食い込んでいくんじゃないかなと思うんです。

誰かを巻き込むという点では、ゴールドウインには契約アスリートたちがいるので、彼らに協力してもらうこともできるかもしれません。実は、彼らが毎年提供されるウェアの最終的な行き場に困っているそうです。パーツごとに分解して補修パーツとしてリペア希望者に提供するのもおもしろいかもしれないなと思いました。
それは面白いかもしれない。まさにパーツのお裾分けですし、自分が推しているアスリートのファブリックだったら、一生大事にするでしょうね。
「ここのファブリックはアスリートの〇〇さんのウェアをパッチしたものなんです」と、他者の服の一部を宿していくことで、1対1ではないコミュニケーションが生まれます。それに、リペアという選択肢を選ぶことで初めて体験できる付加価値になる。
内発的動機づけ以外に人を突き動かすものとは何かを上沢さんと一緒に考えてみた時に、モノとの関係性に何らかの形で他者を介在させることなのかもしれないと話したことがありました。従来のリペアサービスではユニークなワッペンの提供はありましたが、それだけでは広がりは生まれにくい。でも、有名なアスリートのファブリックが自分の服に加わることで、別のナラティブが宿ることにもなります。

そのナラティブごと情報化して提供したいですよね。普通に考えたらそのアスリートのナラティブが語られた冊子みたいなものを付けることが考えられますが。あとは洗濯できるかなどの問題はありますが、RFID(ICタグ)を埋め込んでスマホをかざすことで情報が出てくる、もしくは証明書になるとか。
まさに今後、デジタル製品パスポートのような取り組みが進めば、技術的には今後そういうこともできそうですよね。ビンテージ家具においてはかつて、リペアラーが直した家具の見えないところに、どこどこのパーツで直しましたと記したりしていたそうです。
デジタル技術が可能にする服のコモンズ化
このところ死者と生者の関係性を研究テーマとして考えているのですが、最近読んだフランスの文献では死者の持ち物を身につけることで、その人といつも一緒にいる感覚を自ら作り出すという事例がたくさん紹介されているんです。例えば亡くなったおばあちゃんの靴を履いて旅をすることで、一緒に旅をしている気分を味わっているという若い女性の例が紹介されています。大好きなおばあちゃんの遺品をリペアし続けるというのは想像がつきやすいですが、少し発想を飛ばしてみると、見知らぬ人のファブリックを“受け継ぐ”という関係性もあり得るんじゃないですかね。
服って身体性の拡張であり、第二の皮膚とも言えます。とすると、おそらく人の念というものが乗りやすいと思っていて。卒業の時に好きな人の第2ボタンをもらうのって、服の一部を継承する日本の文化の代表例だと思うんですよね。
僕らの世代は携帯電話のバッテリーカバーを交換するのが流行っていました。色が違っていたり、貼ってあるプリクラがそのままついてきたり。しかも交換したものをさらに交換して、もはや誰が誰のカバーをしているのかもわからなくなるんです。
普段身につけているものを他者に渡すことで、自分という存在が複数化されるような意識が生じる。他者のパーツを身につけるほうもいろんな存在を見に纏うことになり、まるで陰陽師が式神を従えているような感じかもしれません。他人が着た服を着ることに抵抗ある人ってまだ多いんですかね? フリマアプリが登場してC2Cマーケットがこれだけ日本で広まり、所有の循環が生まれているというのが興味深くて。フリマアプリで服を買って、3カ月着たらそれを売ってまた次の服を買うという等価交換を繰り返すことでおしゃれができるというのは、お金がない学生にとっては救いだと思うんですよね。
古着に抵抗感がある人は一定数いますよね。アウトドアアパレルもヴィンテージ市場はありますが、古くなって機能が損なわれると、もう無価値だと感じてしまう人たちもいると思います。ゴールドウインが提供しているリペアサービスは、機能復元を基本にしていますが、機能の復元が難しいと判断した場合には、修理をお受けできないケースもあるんですよね。特に、厳しい環境下で使用されるアウトドアアパレルについては、お客様の安全を守るためにも、品質を保証できない状態で修理品をお返しすることはできません。もちろん、それは必要な判断だと思います。一方で、結果として僕ら側も、機能が損なわれたものを無価値とみなしていることになってしまうのではないか、とも思いました。

僕には兄がいたので小さい頃は基本お下がりでしたし、一昔前は自分の服を新品でゲットできていた人なんてほんの一握りだったんじゃないですかね。そのはずなのに新品志向になって、ヴィンテージ古着やフリマアプリといったC2Cの台頭で、また価値観が戻り始めていることを考えると、ひょっとしたら服における新品志向って歴史上ではほんの一時的なものだったのかもしれない。
そうかもしれないですよね。前提を疑うのは面白いと思います。ちょっと飛躍し過ぎかもしれませんが、例えばカスタマー=買う人という前提を疑ってみると面白いんじゃないかな。
仮にリペアとかリセールみたいなものが社会の中心になったら、これまでみたいに原材料を調達してきてものづくりをするのではなく、生活者(カスタマー)がサプライヤーとなって、受給者と供給者の間でぐるぐるモノとお金が回っている社会になることだってあり得るかもしれない。そうすると、ものづくり企業が次第にC2Cを支えるサービスに変わっていく可能性もありますよね。
つまり、僕が今履いているこのジーンズに穴が空いて履けなくなったとして、それを例えばゴールドウインさんのリペアセンターに送ると、僕は材料の供給者としてお金がもらえる。新しい服の材料や他の人の服の補修素材に使われる時に、お金なのか、もしくは次回の買い物で使えるポイントが支払われるというのがいいかもしれない。

カスタマーでありサプライヤーでもあるというのは面白いですね。それにC2B2Cというアパレルメーカー主導の形なら、個人間のモノの取引にも信頼感が生まれ、安心して参加しやすくなるでしょうし。
スケールさせられるかという懸念はあるのですが、スケールさせなくても何かビジネス上のメリットになるロジックもあり得そうですね。
一律で大規模化・効率化してきたがゆえに、今僕たちの社会は後戻りできなくなってしまっている側面もあると思うんです。だからこそ、必ずしも一つの仕組みを大規模化するのではなく、小さな実践がさまざまな場所に広がっていくような、別の普及のあり方を探りたいですね。
関係性のデザインとしては、自分が直した服や提供した服のパーツが何人に使われ、自分がどれだけの生活に貢献しているかが、情報として可視化されると楽しくなるかもしれません。イメージとしては、寄付のポートフォリオを作成できるサイト。例えば月々5000円の寄付を決めて、どういう分野に寄付金を使ってほしいか、その配分さえ決めておけば適切な団体に配分してくれるサービスがあります。そして子どもの教育支援団体にいくら、シングルマザー家庭の支援団体にいくら、といった具合にポートフォリオを作成して自分のこれまでの寄付を可視化してくれるんです。そういったサービスを参考にして、自分の今着ている服には15人分の大事なパーツが搭載されているとか、日本のどこかで自分の服の一部が使われた服を着ている人たちがこれだけいるんだなと、ふわっと想像させることで社会貢献に対するリアリティを高める情報デザインというのはできるんじゃないかな。
最初は単純にサービスの面白さでレセプターとして参加してみるんだけど、次第に自分も供給者側になってみたりと変遷していきそうです。
みんながファッションドナーであり、レセプターでもあるイメージですね。
「服をどうやってコモンズに変えていくか」という点でもとても面白いですね。建築においてはコモンズ(共有空間)であることが多いので「みんなで直しましょう」という発想になりやすいと思うのですが、個人の所有である服においては、そのようなデジタル技術が活路を見出す鍵になると思いました。
先ほどのフリマアプリにしても、プラットフォームを作ったことで、「これ誰が欲しがるんだろう?」というようなモノの新しいマーケットを開拓しているんですよね。もしかしたら服だって、分解してみたら意外とそこに新しいマーケットがあった、みたいなことになりそうですよね。
そうなってくるとこれからの時代は、リペアを前提としたプロダクトメイクが進んでいくかもしれませんね。
リサーチメモ
・修理を我慢や節約ではなく、そのプロセス自体を楽しみ、新たなプロダクトメイクの領域に引き上げることが重要。
・「弱いロボット」の事例が示すように、不完全さや関わりしろのある対象に人は手を入れたくなり、介入を引き出すことに。
・他者の経験が埋め込まれたファブリックやパーツを補修に使った一着には、自分とは別のナラティブ(語り手自身の視点や経験を通して語られる物語)が宿り、自分だけの所有物という意識を超える可能性がある。
・単体のモノである服の心理的所有感を変えていくには、デジタルテクノロジーによる履歴性が有効な手段になり得る。例えば、使い古された服を企業が回収して分解し、適切な履歴管理のもとで次の所有者へとパーツを繋いでいく流れができていくと、服がだんだん個人の所有物からコモンズに変わっていくシナリオも描けるかもしれない。
・具体的なアイデアとして、リペア素材のマーケットプレイスやリペアポートフォリオといった仕組みが整備されていけば、リペアはファッションの楽しみ方の中心へと移行していく可能性を秘めている。
お話を聞いた人

早稲田大学文学学術院教授
ドミニク・チェン
1981年、東京生まれ。早稲田大学文学学術院教授。台湾、ベトナムと日本をルーツに持つ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業し、東京大学大学院で博士号(学際情報学)を取得。2004年にNPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。現在は「発酵メディア研究」という屋号で人と微生物が会話できるぬか床ロボット「Nukabot」をデザインしたり、人が他者と相互依存的に生きるための哲学としての発酵概念を探求している。著書に『未来をつくる言葉』(新潮社)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』(フィルムアート社)など。
この記事の著者

編集者/ライター
奥田祐也
1987年福岡県生まれ。出版社でカルチャー誌の編集・広告企画に携わり、2023年から北海道移住に伴いフリーランスに。趣味のアウトドアと旅の経験を活かして全国各地でジャンルレスに取材から撮影までを行う。現在は旭川近郊で古民家を自分の手でリノベーションしながら、東京と北海道の自然を行き来する暮らしをしている。



