モンベルに聞く アウトドア義援隊
日本・大阪府
2024.08.26 Mon
災害が発生した時、迅速かつ効果的な支援活動が求められます。モンベルの「アウトドア義援隊」は、アウトドアの知識と技術を発揮しながらそのニーズに応え続けてきました。阪神淡路大震災から始まり、様々な被災地で活躍してきた彼らの活動とは一体どのようなものなのでしょうか。今回は「アウトドア義援隊」の渡辺賢二氏に、その発足の経緯や具体的な活動内容、そしてアウトドアスキルの重要性について伺いました。
「アウトドア義援隊」誕生のきっかけ
「アウトドア義援隊」は、2024年元日の能登半島地震で、4日には現地に駆けつけ支援活動を行っていたと報道を拝見しています。ボランティア元年でもある阪神淡路大震災から30年近く精力的に活動を続け、被災状況によって様々な支援の方法を実践しながら現在に至っていると思いますが、発足の経緯と、これまでの活動事例から教えていただけますか?
「アウトドア義援隊」が立ち上がったのは、仰っていただいた阪神淡路大震災の時で、原点は我々の代表の辰野(現会長)です。モンベルは本社が大阪で、阪神淡路大震災で六甲の店が被災しました。さらに辰野の友人の親が建物の中に埋められてしまい、友人から辰野へ「頼むから助けにきてくれ」と連絡がありました。駆けつけてみると信じられないような状況が起きていました。
95年はインターネットもまだ普及しておらず事前の情報もない中で、辰野が現場を見て感じたのは、「人・物・金」のどれもが必要だということでした。まだまだ災害ボランティアという言葉も浸透しておらず、我々の企業規模もかなり小さくて自分たちだけでは手に負えなかったため、取引先の小売店はもちろん、ライバルの同業他社も含めて、何かご協力いただけないかとFAXで連絡して、ご寄付をいただいたりしました。そうやってアウトドア関連の会社が寄り合ったことがキッカケに、「アウトドア義援隊」という組織を立ち上げました。
以来、東日本大震災や熊本地震などの地震だけでなく大きな水害もありました。国外でもネパールやシリアをはじめ様々な場所で災害がありましたが、地域や被災状況によって活動の形を変えて支援を行ってきました。
企業だからこそできること
現地に入ってそれぞれの被災状況を直接、見聞きしながら、必要な場所に必要な支援を行っているんですね。今年の能登の震災でもNPO・NGO団体ではない個人や民間企業のボランティア活動を牽制する風潮もありました。30年間活動を継続される中で、企業のボランティアについて考えていることはありますか?
ゴールドウインさんや私たちのような企業にとって物を手配し、輸送し、届ける「ロジスティック(物流)」はお手の物ですよね。さらに被災地に届いているものをどう仕分けして、どう振り分けるかということもできるわけです。
アパレルメーカーとして製造から販売まで、物流は得意ですね。
そうですね。阪神の時は自分たちの見える範囲での供給でしたが、東日本大震災の時は全部で300トン以上の物資を配給しました。物流拠点・倉庫を山形天童市に設けて、お客様や協力団体からの支援物資を集約し、そこからさまざまな太平洋側の沿岸部に行ったんです。また物資支援と同時に届けた先で御用聞きのようなことをしました。イメージとしては、ワンボックスに荷物を積んで食品を積んで田舎の過疎地に行く移動販売みたいなものです。支援に行ったら今度は「おばあちゃん次は何を持ってきてほしい?」と注文を取るわけです。SNSも普及していましたから現場から情報をもらって、それをSNSで公開して活用しました。
一方で自治体はこうしたロジスティックというのが一番苦手なんですよ。能登の輪島でも物資がどんどん来ている中で配る以前に受け入れるだけで精一杯に見えました。加えて行政だと歯ブラシくださいと言ったら個別対応できないので、避難所単位で100個一気に送ってきたりするんです。地元の人たちにとってみたら、そんなのは1、2個でよかったのに。そういうことはロジスティックが得意な企業ができるといいかもしれないですね。
ロジスティックという得意分野に加えて、民間企業であるからこその柔軟な対応が強みであると。
そうなんです。また東日本大震災の時、天童市の拠点ではロジスティックのボランティアに、天童市の市民を募集しました。内陸部や日本海側は被災していないけど、太平洋側に対して「大変だ」という思いは同じ東北人としてあったんですね。何かできないかと。印象的だったのは、小さい子どもを連れて親子で参加してくれたお母さんから、「子どもがこういう経験ができる場を作ってくれてありがとうございました」という言葉をいただいたこと。調整は大変なんですけども、企業と社会のつながりを感じた瞬間でした。
被災地での自立した支援活動を可能にするアウトドアスキル
私たちアウトドアピーポーが、アウトドア企業が、現地で活動した経験っていうのは、自分のお膝元で災害が起きた時に必ず役に立つ。
「アウトドア義援隊」として活動する中で、アウトドアの知識やテクニックが活用できている実感はありますか?
アウトドアアクティビティを通じて身に付くのは、インフラが途絶えた時でも活動できる知識とテクニック。特に義援隊の初期メンバーは大体みんな山岳会に入っていて、山岳事故に対して自ら組織を組んで前線に助けに行ったことがあったり、警察消防と一緒になって救助行動をした経験がありました。マスコミは、東日本でも今回の能登でも、発災直後一様に現地に入るなと言っていたと思うんですけど、僕らにとってみたらそれは絶対おかしいんですよ。山の遭難でも答えは現地にしかない。もちろん天候を見ながらではありますよ。でも、現地を見なければ何をしていいか絶対分からないんです。そうした経験から、率先して現地入りしても迷惑をかけず、支援することができるテクニックが身についているわけです。
山での経験があるからこそ、イレギュラーな状況下でも自立して活動できると。
そうなんです。だから“山屋”さんだったり、アウトドアをしている人は、そういったテクニックがあるんだから行くべきなんですよ。「行ったって何もできないじゃないか」と言う人もいるかもしれないけど、避難所のおばあさんの肩を揉むだけでもいいんです。そうしたら絶対に得ることがあるし、現実に被災地でどういうことが起きているか、真実がわかる。その経験が非常に重要なんです。
もちろん活動経験もそうですし、まずは現地で何が起こっているのかを肌で感じることが重要なんですね。
はい。たまたま今回は日本海側が被災しましたが、南海トラフ地震、首都直下地震、最近の千葉地震も非常に気になりますよね。広域の都会での災害に関しては間違いなく、特に数日間はそれぞれ自分のことで手一杯で誰も助けてはくれません。人口が少ない能登ですら、あのような状況です。残念ながら自分たちのことは自分たちで守るしかない。だから、被災地支援というのは対岸の火事としてあるのではなく、私たちアウトドアマンやアウトドア企業が現地で活動して経験を積むことによって、自分のお膝元で起きた時に必ず役に立ってくる。結局人間は経験を積んだ方が次のアクションに及びやすいんですよね。
自分もしくは自分の家族、さらには隣の家のおじいさんおばあさんを守る。人を守るとなると、皆さんすごい大層なことを言うんですけど、単純な話し一人が一人を守ればいいと思うんです。それが1万人いたら1万人が救われるわけじゃないですか。だからそんな大ごととして考えなくていいんですよ。
粋な生き方、「かっこつけず」に続けられること
このように活動されてきた「アウトドア義援隊」ですが、民間企業がこれだけの年数、ボランティア活動を継続することは難しいことのように思います。活動を継続するための心構えや決まりなどはあるのでしょうか?
私たちの活動は、フェーズごとに変化してきました。阪神の時は被災地が本社の地元だったから活動しました。でも東日本の時は仙台店がありましたが、乱暴な言い方をすれば、支援に行くことは別に義務ではありませんでした。ただ、私たちの代表辰野の言い方でいえば江戸の町火消しじゃないですけど、何か災害が起きた時に先頭を立って旗を振るのが粋な生き方だと。だから自主消防隊みたいみたいなものなんですよね。
能登半島地震の時ですでに150以上の自治体と包括連携協定を結んでいて、フレンドエリアというモンベルクラブの会員さんが特典を得られる地域や場所があるのですが、珠洲と羽咋ともそうした連携先のひとつでした。さらに羽咋には倉庫があって、七尾には繊維会社があり、輪島には取引先様もいました。だから今回は地元ともいえる場所であり、助けにいく目的や大義があったわけです。地域とのいろいろな関わりの中で、どの災害をどこまで支援するか。何か起きたら求められることも多いんですけど、こう言ってしまっていいかわかりませんが全部はやりきれません。世界も含めたらそんなこともできるわけがない。
だから、やっぱり辰野が一番最初に始めたように、自分の友達が困ってたら助けに行くじゃないですか。家族を助ける。それと同じです。地域がモンベルと仲間だから助けに行くっていう大義があります。混乱状態の中で活動するうえで、やはりどこの誰か馬の骨か分からない人間がいったら、すごい懐疑的に思うんですよ。だけれどもモンベルを知っているっていうふうになれば、それだけで行った瞬間に受け入れてもらえるので。
継続的な活動の源泉はそこにあるんですね。 ところで「アウトドア義援隊」は、バナーにも腕章にもモンベルの社名を入れていませんが、それはなぜでしょうか?
アウトドア義援隊はモンベルがやってると言う人がいるんですけど、実は僕はそうではないと思っているんです。アウトドア義援隊は、募金や支援してくれている皆さんが原資なので。活動資金は、毎回募金活動もしますが、発災してから募金が集まる前まではそれまでのプール金や、モンベルクラブのひとりひとりの年会員費1500円のうち50円を集めたファンド基金から出しているんです。だからその資金をいかに有効に使うかを常に考えています。人を生かすためのお金なので。
我々企業は営利団体ですから、例えばNPO団体に寄付をする場合でも業績の影響を受けてできなくなってしまう可能性があります。それでは継続性がないので、僕らはよしとしないんです。モンベルクラブの会員さんが激減したりせず一定数いれば、業績に関係なく年会費によって支援活動が継続的にできます。
とはいえ大企業みたいに潤沢に資金があるわけでもないので、そんなに格好いいことをしようとしてもできません。自分たちの規模を自覚していて、かっこつけずにできることを優先しています。それを見て「モンベルでもできているのなら、うちの会社はこういうことができそうだ」という発想につなげてほしい。
お客様や様々な方の支援がもとになっているから「アウトドア義援隊」はモンベルのものではないということですね。有事の際、普段は通常の業務を抱えた社員の方々が義援隊の活動に参加されると思いますが、活動中は業務が止まってしまいませんか? 継続性という意味でも、社内からはこの活動がどのように受け止められていますか?
徳武さん、どうですか?笑
自分の場合、以前は仕事でボランティアの現場には行けなかったので、いま義援隊として裏方ですが支援活動ができて、少しでも何か役に立てていたらいいなと思っています。
現場に行く人だけじゃなくて、会社の方でもそうやって色々支えられています。商品1個の管理も普段からきっちりしていないと、そういう時にバッと出せませんからね。
「アウトドア義援隊」は隊を支える団体や企業、お客様、社員の皆さまと、活動に賛同してくださる多くの方のサポートで成り立っているんですね。
Summary
・「アウトドア義援隊」は阪神淡路大震災をきっかけに、30年間にわたり国内外で多岐にわたる支援活動を展開している。
・企業の強みである物流やロジスティクスの知識を駆使し、柔軟で迅速な支援を実現している。
・インフラが途絶えた状況でも自立して活動できるアウトドア技術を活用し、被災地のニーズに即応している。
・モンベルクラブ会員や地域との連携により、支援活動を持続可能なものにしている。
長年にわたり、被災地のニーズに即応した迅速な支援活動を続けてきた「アウトドア義援隊」。その背景には、アウトドアスキルや企業としてのロジスティック能力、自治体と築いた連携を駆使した独自のアプローチがありました。
この取材では企業それぞれの特性を活かし、得意分野を支援活動に取り入れることの重要性が改めて浮き彫りになりました。私たちも、自分たちだからこそできる支援活動の形を模索する必要があるでしょう。
お話を聞いた人
株式会社モンベル広報部部長代理/アウトドア義援隊リーダー
渡辺賢二
1991年株式会社モンベル入社。 営業部を経て、94年広報部に配属。 2023年4月より同職。アウトドアサイエンスを提唱し、京都大学フィールド科学教育研究センターとともに、森里海連環学の普及にも努めている。中学時代からアウトドアオタクで、これまでに登山はもちろん、ホワイトウォーターカヤック、バックカントリースキーなどで数々の初下降記録を持ち、近年はフライフィッシングであらゆるターゲットを狙い続けている。
お話を聞いた人
株式会社モンベル広報部
徳武由貴
2017年株式会社モンベル入社。店舗勤務を経て、2021年広報部に配属。自社のプロモーション業務全般、社内外のイベントやメディア対応などを主に担当。幼少期に両親に連れられていたのをきっかけに登山を始め、現在では浅く広く、1年を通して様々なアウトドアアクティビティを行う。
この記事の著者
Goldwin Inc.
上沢勇人
2019年入社。THE NORTH FACE STANDARDの販売員を経て、2023年よりマーケティング部所属。趣味はロングトレイルやバックパッキング。ここ2年ほどはトレイルランにハマり100mileの完走を目指してトレーニング中。