あの人は子どもの頃、どんな遊びをし、どんなことを信じていたのだろうか。
子どもは遊びを通して世界と関わり、遊びを通して自分をかたちづくっていきます。あの人はどんな遊びをしてきたのか。そしてそれはいまのその人にどんな影響を与えているのでしょうか。
「楽しませてやる」と腹をくくってきた遊びの記憶
セネガル人の父と日本人の母の間に生まれた文筆家の伊藤亜和。2023年、ブログサービスのnoteに投稿した父をめぐるエッセイが話題となり、2026年7月時点ですでに4冊のエッセイ集と1冊の絵本を手がけている。『変な奴やめたい。』(ポプラ社)は、子ども時代の思い出とともに私が私でいることと、周囲からの目や言葉、その間に生まれる自意識について書かれた1冊だ。
サッカーをするけれど声は出さず、ぬいぐるみに決まった順番で挨拶をしてから眠り、おじいちゃんに連れられて道なき山を黙々と登り、近所の友達と自分でルールを開発した遊びを続ける。ゆっくり、しずかに、巻き込まれ、その先で「楽しませてやる」と腹をくくってきた遊びの記憶。
伊藤亜和
1996年神奈川県生まれ。文筆家。note掲載のエッセイ「パパと私」がSNSで注目を集め、同作を収録した『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)でデビュー。著書に『変な奴やめたい。』(ポプラ社)、絵本『モプーはヘンダ』(KADOKAWA、絵:出口かずみ)など。ラジオ・テレビ出演など幅広く活動。第19回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞受賞。「現代の魔女」をドラマティックに描いたエッセイ集『魔女になりたい』(文藝春秋)が8月27日に発売。
反応がないひとり遊びはしない
著書の中で昔のことをいろいろ書かれていますが、本当によく覚えていますよね。
細かい会話は補完しているところがあると思うんですけど、インタビューを受けるようになって、人はあまりこまめに過去を振り返らないのかもしれないということに気づきました。自分がことあるごとにやたら写真や自分が過去に作ったものを見返して思い出す作業が多かったのかもしれません。写真は、写真好きなおじいちゃんが撮ってくれていたんですが、とにかく膨大な量で、家の中のどこを開けても見たことがない写真が出てくる。
一番最初の記憶って言われると、何になりますか?
よだれが止まらなかったことです。歩行器みたいなので歩いていて、よだれが止まらなくて困ったなと思った記憶が最初ですね。
遊びとしてはどんなことを思い出しますか?
小学生の頃のサッカーですかね。近所の男の子がサッカー好きで、一緒にサッカーをやっていました。一人では遊ばない子で、遊ぶときも誰かに見ていてほしかった。いまだに一人で何かすることにはあまり興味がなくて、誰も読まなきゃ本も書かないし、反応が欲しいタイプなんです。
男の子と遊ぶことが多かったのはどうしてだったんでしょう?
兄弟や親戚が男の子ばかりの環境だったからなのか、女の子はどう接していいかわからなかったんです。それは今も解消されていません。デリカシーが欠けているくらいの男の子と仲良くなりやすかった。
女の子のどんなところに壁を感じていたんでしょうか?
女の子は、ハーフである見た目のこともあってかすごい気を遣ってくれる感じがありました。例えば初めて会話するときに、褒めから入られるとどうしたらいいかわからなくなっちゃって、なんなら攻撃的にこられるくらいのほうが、仲良くなる傾向がありました。
女の子なら「ちょっとあんた何なの」みたいなところから入ってくれたほうが。
最初のイメージから出られなくなるのが嫌なんです。普段あまり喋らないから静かにしていることが多くて、第一印象で勝手に「クール」みたいに捉えられちゃうと、もうダメ。
サッカーをしているときは、その静かな自分とは違う自分がいた?
いや、静かにサッカーしてました。声を出さないので、全然パスがもらえないんですよ。
サッカーに向いていない気がしますね(笑)
解決するよりも、うやむやがいい
振り返って思うのは、近所の男の子とサッカーをしていたのは、一人だけいる女の子として気にかけてもらえていたのが嬉しかったからかもしれません。サッカーをやっていたのは、サッカーという競技そのものの楽しさではなかった気がする。自分を中心に場が回ってないと嫌なんです。「飲み会とかで私より輝いてる人間がいると帰る」という話をポッドキャストでしたら、ちょっと騒然としたことがありました。
お姫様みたいな?
注目のされ方は何でもいいんですけど、容姿のような私が元々持っているものじゃなくて、私が何かしたことに対して反応が欲しいんです。罵倒でも対象になればいい。静かにしていたサッカーではあまり揉めなかったんですけど、近所の子とは人生ゲームとかで毎回喧嘩して帰っていました。
それでも一人遊びよりもみんなと遊びたかった?
「もう遊びたくない」より遊びたい気持ちが上回っていて、「どうせ喧嘩するんだろうな、今日も」と思いながら遊んでました。
仲直りはどうやって?
何事もなかった感じで元通り。あまり解決というのをしたことがないんです。今でもそうで、うやむやになれって思っています。向こうがごめんなさいって言ってくるのも嫌だし、自分が言うのも嫌。しらけるのが嫌なんですよ。「ごめんなさい」とか言われても今後どうしたらいいか、ってなるじゃないですか。小さな礼儀という箱の中で生きて決まりとして守ってるけど、いま喋ってるほうが楽しいからいいじゃんて。すごい本能的な生き方をしている気がします。
試練に巻き込まれていくスタイル
集めていたものとか、子どもの頃の執着みたいなものってありました?
ぬいぐるみをめちゃくちゃ集めてました。ぬいぐるみを集めて、自分の決めた順番通りに並べて、その子にあった挨拶を全部やってから寝る、というのが当時の日課でした。
「その子にあった挨拶」というのは?
言語みたいなもので、「お休み」という意味でうさぎには「うさうさ」、くまには「くまくま」みたいな。それを順番通りに完璧にやらないと、寝れない。
いつぐらいまでやっていたんですか?
挨拶は中学の頃までやっていて、ぬいぐるみと寝ること自体は昨年ぐらいまでやっていましたね。1年前に引っ越したときにぬいぐるみを連れていかなかったんです。続けていた最後の頃は、ベッドに3分の1ぐらいしか私のスペースがなくて、「狭いな」「つらいな」「めんどくせえな」と思いながらやっていましたから。
挨拶をやめたきっかけは?
ぬいぐるみに人格があると思っていたというより、単純に自分の満足のためにやっていたんですよね。強迫観念みたいなのが薄まったんだと思います。そもそもかわいいと思ってやっていたわけじゃなかったので。
兄弟やご家族と一緒に遊ぶことは。
写真と登山が趣味だったおじいちゃんがよく山に連れていってくれてました。小学校5年生ぐらいのときは富士山に登ったり、森に入ってキノコをとったり。おじいちゃんと二人のときもあれば、おじいちゃんの山仲間と一緒のときもありました。ハイキングとかじゃなく、道なき道や、下手したら落ちたりしそうな細い道を行く登山で、結構険しい山に登ってきましたね。
おじいちゃんが助けてくれるんですか?
おじいちゃんは助けてくれない人でした。泣いていても「早く来い」みたいな。登りながら、周りに生えている草やキノコを「それ食べれるぞ」とか「この虫は何とかだ」とか話はしてくれてましたけど、登山自体は自分で進まないとどうにもならないという状況を叩き込まれましたね。
教育みたいな意味合いがあった?
そんな深いことは考えてない。「俺は登りたいように登るから、お前も登りたいように登れ」みたいな。でもおじいちゃんは高山病になりやすい弱めな人で、富士山のときも顔が真っ青になってました。
その後、自分で山に行きたいとは?
ならなかったです。自主性がなくて、人から与えられた試練みたいなものに巻き込まれていくスタイルで、人から何か言われたり、人から何か求められて初めて動くんです。ただ巻き込まれたからには、楽しませてやるみたいな。「やれやれ求められたらしょうがない」って言いながらやるのが一番楽しいんですよね。
「ヒロシ・イロオニ」と「バッファロー作戦」
話しながら思い出した遊びがありました、「ヒロシ・イロオニ」。
イロオニはいわゆる色鬼?
お笑い番組の「エンタの神様」が流行っていた頃で、芸人のヒロシが出ていて、そのスタイルと色鬼を融合させた「ヒロシ・イロオニ」というものを開発したんです。
なるほど。
鬼がヒロシの佇まいをやります。「ヒロシです」「次の色は青にするとです」と言うと、みんながバーッと逃げて、そこからは普通に色鬼のはじまり。
止まった瞬間だけヒロシになる。
そうです。あと、ドロケイで「バッファロー作戦」というのも開発しました。警察に捕らえられている仲間を救うために、数に任せてバッファローのように大群で警察の陣地に突進するという作戦です。
捕まえきれないほどの数の水牛が怒涛のように押し寄せる。
翻弄するんです。そういう風に遊びをアレンジするのが好きだった。あと小学生の時に、いつも帰る4人組がいて、白けるのシラケと白木屋から取って「シラケヤ」と名乗っていました。帰り道で4人が別れる場所があるんですけど、家に帰らずそこに座って4人で丸くなり、一人一人エピソードトークをして、シラけると罰則があるという遊びをずっとやっていました。
過酷な現場。小4のエピソードトークって、どんな話をするんですか?
全然思い出せないですけど、毎日のようにやっていました。まったく記憶に残らないくらいの話だったけど。びっくりするぐらい楽しかった。
考えたアイディアが採用されるよろこび
ルールを作ったり、新しい遊びを開発するのが好きだった?
そうですね、アレンジするのが好きでした。
当時、周りからはどんな子だと思われていたんでしょう。
普段は大人しくて、ぼそっと新しいルールを思いつく子みたいな感じで、「ぼそっと喋って、なんかおもしろいよね」「あわちゃん、たまに喋るとおもしろいよね」みたいな。アレンジを提案して「ちょっとやってみようよ」ってやってみたら、めちゃくちゃいいじゃんとなったりする。そこに目立つ子とかがいると、後は勝手に広めてくれていました。
「自分発」が広まっていくのが嬉しい?
流行るのがうれしかったですね。私が考えた替え歌を一軍の男の子たちが歌ってたりすると、「わたしから始まったんだぞ」て。
それは目立ちたい、ということとは違う?
自分がすごいと持ち上げられたり、評価されることへの喜びよりは、作ったもの自体が広まっていくほうが嬉しかったですね。容姿に言及されることが多い人生だから、考えたアイディアを褒めてもらえるのは嬉しかった。
ご著書でも、自分がほかと違うっていう自意識は小さい頃からあった、と書かれていましたよね。でも、みんなで遊ぶことを避けることはなかった?
小学生のときは気にしてなかったですけど、年齢が上がるにつれてどんどん強くなっていきました。中学校は辛うじて部活に入っていて、固定のメンバーと仲良く過ごしました。高校は部活も入らなかったし、総合学科でクラス単位で動くことが少なくて完全に孤立しましたね。私がいるとみんな変な空気になって誰も私といても楽しくないって思ってしまっていて、自分から誰かを誘うことも、輪の中に入ることもできなくなっていました。
ご著書にも書かれていた「声が小さい」ということは、昔から言われていました?
昔から言われてましたね。聞こえない、暗そう、機嫌が悪そうとか、それが迷惑になると思っていた時期があって。別に機嫌が悪いわけじゃないし、元気なんだけど、みんながそう思うんだったらいないほうがいいかって。でも、自分を変えることはできなくて、開き直り始めたのは最近です。やっぱり自分の居場所を自分で作れたからだと思います。
お尻の下に手をかざすスリル
マイルールやジンクスみたいなものはありました?
汚い話なんですけど、便座に座って用を足すときに一度お尻の下に一瞬手をかざすというルールを課していました。
聞いたことないルールが出てきた(笑) どういうことですか?
スリルですね。失敗したことはなくて、中学生まではやっていました。誰にも話さず、むしろ「やりたくない」と思いながらやってました。そんなことやりたくないですよ。

どういうことですか(笑)
なんだったんですかね(笑) 始めたきっかけは覚えてなくて、たぶん一回目の挑戦がギリギリうまくいったことで「いけた!」みたいな感覚があって、危機を超えてさらに自分に試練を与えるみたいなことだったんじゃないかな。
その我慢は、達成感や快楽につながっていたんですか?
それもそうでしたけど、達成した後の虚しさを味わうっていうのもあります。「あの欲望は何だったのか」って。
結構高度なルール、遊びですね。
当時はそこまで考えてなかったですけどね。でも我慢は好きです。いま夕方ですけど、昨日の昼から何も食べてなくて、食べられる瞬間はあったし、今もおいなりさんを持ってはいるんですけど、ここまで来たらどこまで食べずにいけるかな、みたいな我慢の最中だったりします。
「間違っても大丈夫だよ」と伝える絵本
絵本『モプーはヘンダ』は、チョコレート色の肌と、ひつじのようなモコモコの髪をもつ小さな1年生の男の子、モプーのお話です。モデルにした人や出来事はありますか?
弟をモデルに描きました。もっと年齢が上がってからですが、弟が引きこもりになった時期があったんです。すごく落ち着きがない子だったのに静かになって、「人に見られたくない」みたいなことを言っていました。
容姿の話という意味では、亜和さん自身も共感する部分があった?
そうですね。性格が違うので同じような経験があっても結果としての行動が違ったんですけど、弟も同じことを感じているのかなと記憶に残っていたんだと思います。
表現の仕方は違っても、日々感じているストレスはずっと頭の中にあった。
はい。いわゆるマイクロアグレッションのようなことなんですが、絵本の中では、それをそのまま言いたくなかったので、「マイクロアグレッション」や「差別」のようなワードは、宣伝も含めて今回どこにも使っていません。そういうことに後ろめたさがある人は、もう手に取らなくなってしまうのではないかと思って、なるべく誰にでも読んでいただけるような入り口をつくりました。
「マイクロアグレッションの本です」と言われると、無自覚にやってしまっているかもしれない自分が責められているように感じてしまうということですね。
最近は間違った人に対して、必要以上に反省を求める空気があると思っていて。マイクロアグレッションに関しても、過去のことを大きな罪だと断罪する空気が強い気がしています。それは「これからの世の中を良くするための責任」だと言われれば、私もその通りだと思うんです。でもそれがどうしても自分の性格に合わない。私がバイトしていたとき、お客さんの年齢層が高いレストランだったのですが、「色が黒いね」とか言われても、「それマイクロアグレッションですよ」みたいなのがどうしてもできなかった。みんなは仲良くなりたいと思って、声をかけてきてくれていたと思うので。
スタート時点の気持ち自体はポジティブだったはずだと。
おばあちゃんがとことこ来て「日本語お上手ね」と言ってきたら、「ありがとう」と言いたくなっちゃうんですよね。その気持ちに嘘をつきたくないなっていう気持ちで書きました。「間違っても大丈夫だよ」ということを伝えたい。社会の「こうするべき」じゃなくて、その人たちの間で話し合えばきっと良くなっていくんじゃないかなって。
絵本の中で、子どもたちがそれぞれの変わったところを発表するシーンがあります。モプーは変えようのない違いを持っている中で、子どもたちは自分の変なところを発表する。
モプーが傷ついた気持ちを、そのことで等価交換できるかと言われると、できないとは思っています。「こういうふうに書いていいのかな」と思ってはいたんですけど、それはやっぱり大人の邪推で、子どもにそんな違いなんかわからないじゃないですか。ただ「モプーを助けたい」っていう気持ちが一番最初に来るべきだと思って、あえてこういう展開にしました。

『モプーはヘンダ』
文:伊藤亜和/絵:出口かずみ(KADOKAWA)
大きな社会の前の小さな関係
喧嘩しても謝らない、うやむやでいい、というお話とも通じている感じがします。
考えていることは似たようなことだと思います。「うやむや」でよくない? って思います。誰が悪いとか、これが悪かったとか、そんなに突き詰めてもいいことはあまり起きない。
関係を切らないように、話し続ける。
「この人は右か」「あいつは左だ」「ダメだ、無理だ」「もう縁を切らせていただく」みたいになっちゃうじゃないですか。そうじゃなくて、「でも、あいつと喋ると楽しいんだよな」「あいつとゲームやると楽しいんだよな」というところで、完全に手を繋ぎ続けることはできないけど、どこかに触れている状態はできるんじゃないか。喧嘩してもいいんです。でもその人のすべてを拒絶する必要はないんじゃないかと思うんです。
この記事の著者

good and son
山口博之
FRLエディトリアルディレクター/ブックディレクター/編集者
1981年仙台市生まれ。立教大学文学部卒業後、旅の本屋BOOK246、選書集団BACHを経て、17年にgood and sonを設立。オフィスやショップから、レストラン、病院、個人邸まで様々な場のブックディレクションを手掛けている。出版プロジェクトWORDSWORTHを立ち上げ、折坂悠太(歌)詞集『あなたは私と話した事があるだろうか』を刊行。猫を飼っているが猫アレルギー。
https://www.goodandson.com/

