他者に繋いでいくための修復
森林の手入れにみる、修復を通じた受益者との関係構築

2026.08.23 Sun

人々がリペア(修理)や修復を選択するには、他者と共有するものであったり、コモンズ(共有資源)に対する意識が強く影響するのではないか。そんな仮説のもと、注目したのが森林の手入れだった。下刈りや除伐、枝打ち、間伐といった手入れは、森を健康に保つためには欠かせない作業だが、森林との関わりが薄れるにつれて放置され、今や日本全国で問題とされている。

岐阜県・飛騨古川に、飛騨の森でクマは踊る(以下、ヒダクマ)という会社がある。森の価値を発見し、森を起点とした地域内循環を創造するこの会社は、昨年夏に遊休されていた個人所有の森を“修復”し、誰もが自由に過ごせるコモンズとしての森「来福の森」へと変えた。森林の修復とは何なのか、そしてコモンズであることが修復にどう影響を与えるのか。

「ロフトワーク」クリエイティブディレクターの永島啓太さんとFRLの上沢勇人の二人は、ヒダクマCOOの松本剛さんと、山主である大橋司さんに話を伺うために、岐阜県高山市にある「来福の森」を訪ねた。

松本 剛 & 大橋 司

 

松本 剛

環境事業会社勤務を経て、2009年に森林林業を起点とした地域プロデュースを手掛ける株式会社トビムシ設立に参画。2015年「株式会社飛騨の森でクマは踊る(ヒダクマ)」を設立。2016年、滞在型ものづくりカフェ「FabCafe Hida」をオープン。「森のレッスン」「山観日」「建築家のための森ツアー」「飛騨市・広葉樹のまちづくり学校」など、森と人が出会い活かしあう場づくりに取り組む。筑波大学山岳科学学位プログラム非常勤講師/みえ森林・林業アカデミー講師。

 

大橋 司

新岐阜興業株式会社 代表取締役/ビル経営管理士/「来福の森」山主
地元エネルギー系会社に約30年勤め、家業のテナントビル経営を引き継ぐ。さまざまな人がこの場所を自立共生的に使うような仕組みを整えられないかとヒダクマに相談を持ちかけたことで「森をひらくプロジェクト」を発足。多様な使い手が当事者として利用できる「ひらかれた森」を目指して活動する。新岐阜興業株式会社 代表取締役/ビル経営管理士。

 

日本の森林が抱える問題と、修復のアプローチ

永島

来福の森がひらかれるまでの経緯から、まずは伺えますか?

大橋

この森は私の祖父が購入した森でずっと放置されていたのですが、たまたまここに来る用事があって立ち入ってみると、斜面の先にほどよくひらけた空間もあって、とても居心地が良かった。飛騨は山が多いですが、そのほとんどが急で人を寄せ付けないような山ばかりですから。それに温泉街からも歩いて来られる距離にあって、これを自分だけで独り占めするのはもったいない、そう思ったのがきっかけで、どう活用していくのがいいかをヒダクマさんに相談したのが2年前です。

松本

ここは原生林ではなく、いわゆる二次林に属するんですけど、かつて桑畑として使われていて、そのまま50年間放置されて天然の遷移をしてきた森でした。

永島

一度人が手を入れて放置された森林を修復するというのは、どういう状態を目指して設計をするものなんですか?

松本

まず林業的には、「森林再生」とは言っても「修復」という言葉は使いません。基本的には人が手を加えた森でも、時間が経てば生態系は再生されていきます。これを「天然更新」と言います。ただ、元の森の植生をリセットして杉や檜の木の畑に変えた山が日本には多いので、そのまま放置したとして元の森に戻るかはわかりません。なので、伐採した跡地に再び杉の苗木を植えて育てる「再造林」が、林業においてはいわゆる修復ということになると思います。しかし日本の山では既に杉を植え過ぎているという問題もあるため、それらの山林をどう直していくのがいいのか、日本中でその答えを模索しているのが現状です。飛騨の森は広葉樹が7割を占めますが、広葉樹は活用が難しくて、経済的価値がほとんどないのに何のために手間をかけて修復するのか、と言われかねません。

上沢

なるほど。アパレルのリペアにおいても企業側がサービスとして提供しているケースが多く、リペアだけで黒字化するのは現状では困難なんです。森林においても、かつては林業が盛んでちゃんと出口があったからこそ定期的に手入れできていたけれど、出口がなくなってしまった今は手入れにかかる費用をどう捻出するかといった課題もあるのですね。

松本

おっしゃるとおりです。飛騨市は元々木材の町で、古くから広葉樹を活用した木造建築や木製家具産業のエコシステム(市場や価値の循環)があり、山から木を伐採する林業事業者や、製材・加工を行う木材事業者が今も残っています。ですが、この先も飛騨の高級木材家具が売れ続けていく保証はないなかで、地域の森林資源を持続可能に利用し、木材加工技術を発展・継承させる経済循環の仕組みの確立を目指しているのがヒダクマです。官民共同の事業体で、飛騨の山から伐り出された扱いづらい広葉樹を様々な工夫をして価値を高めるものづくりをしたり、木材活用以外の森の可能性もひらく取り組みをしています。

地域の森と人をつなぎ、広葉樹のまちづくりを実践していくヒダクマの「森の端オフィス」は、これまで建築で使われなかった地域の広葉樹が余すところなく活用されている。
松本

ここの森も大橋さんから相談を受けたときは、この森では林業はできないし、修復にかかる費用を少しでも回収するためにグランピング施設をつくるというプランでしたが、既存の林業や観光業のやり方にとらわれずにこの森の価値や可能性を活かすことを考えました。

大橋

私がこの森に初めて立ち入ったときのように、森ってこんなに面白いんだと気づける空間なり時間をここで提供したかったので、なるべく人工物のない自然のままの状態で、誰もが入りやすい森にしていこうと松本さんと話しまして。

松本

思い返してみると、そのためにやってきたのはまさに“修復的”なアプローチでした。リセットして1から作り直していくのではなく、今の状態から何を残してどこを直すのかを決めていくことにしたんです。それを考えるヒントになったのが、大橋さんの本業のテナントビル事業でした。この森で私たちが何かのサービスをエンドユーザーに提供するのではなく、「テナントビルのように森を使いたい人に様々な使い方をしてもらう」というコンセプトにして、昨年から様々な人に利用してもらっています。

ワークショップで参加者たちによって建てられた笹葺の小屋。森の中の危険な木を倒し、茂っていた笹を刈り、みんなで森林整備をした結果として生まれたみんなの居場所。
大橋

例えば去年は都内のフラダンス教室の方たちに利用してもらいました。みなさんフラの精神性や儀式的な側面も大事にされていて、古典フラに使うカラアウという楽器を自分たちで作ろうとしていたんです。ですが、素人が自由に森に立ち入って楽器に使う樹種を伐採させてくれる場所はなかなかないので、我々がサポートする形でこの森を使ってもらったんです。利用することで森に人の手が入ります。さらに彼女たちに福地温泉の夏祭りでフラを踊ってもらったりと、森や地域との新たな関係性まで生まれたんです。

上沢

どこに価値を見出すかがそれぞれだからこそ、用途に合わせてまるで森をカスタムしていくのは面白いですね。それに最初からグランピング場にしようと限定的に森を見つめていたら、気付かないうちに森が内包する本来の価値を毀損してしまっていたかもしれない。

松本

そこで、様々な人が森に入るために必要な道具やトイレなどのライフラインを揃えた「道具番屋」を森の入り口に建てたんです。例えばハンモックや椅子、プロジェクターなどのツールをあらかじめ用意しておけば、森をカフェや野外シアターとして利用することもできます。こうすることで、使う人が毎回目的に応じて道具を持参しなくてもいいですし、道具を介在させることで、森自体を改変するのではなく関わり方や運用の仕方を見直していこうという試みです。木地師や炭焼き職人が山で作業ができるように山中に構えていた、木地小屋や炭焼き小屋と発想は近いかもしれません。

来福の森の入り口に建てられた道具番屋。簡易的な宿直機能も備え、森を楽しむためのいろいろな道具が揃えられている。
永島

みんなが思い思いにツールを使った結果として森の価値が付加されていく、あるいは森が手入れされていくというのは興味深いですね。正しさや善意だけで人は動かないと思うので、そこに頼らないユニークな手法だと思いました。

森林は単一の評価軸では測れない?

上沢

コモンズとして誰かに使ってもらうために、あるいは次世代のステークホルダーのために修復やリペアを選択するという点においては、とても示唆に富んだお話でした。でもまだ、ここでの成功事例を別の地域にそのまま適用してスケールさせるのは難しいのではないかとも思うのですが、ヒダクマとしては今後どうトライしていくのですか?

松本

飛騨には家具の産業があるので、今のところは家具の材料になる多様な木を育てるという目標がありますが、地域によっては家具を作る人もいなかったりと、何のために森をつくるのかが問われていると思うんです。なので私たちにできるのは、地域資源の活用と地域との連動という飛騨の展開事例をフォーマット化して、飛騨なら「広葉樹×家具産業」だけれど他の地域なら〇〇×〇〇といったふうに、入れる変数を変えていくというのが、今の答えですね。他の地域でもそういう森が複数できていくのは面白いと思っています。同じ日本でも、飛騨と北海道と沖縄では全然森も違いますから、きっとまちづくりのように多様な答えが出てくると思うんです。

大橋

この森に関してもずっと模索し続けていますね。むしろ完成することはないんだと割り切っているほうが、もっと良くなる可能性を模索してずっと手を入れ続けたくなるし、愛着も湧いてくる。

上沢

そう思えるのは素敵ですね。ですが、完成品じゃない状態がどの程度なら社会的に許容されるのかを考えるのも重要な気がしています。例えば直す直さない個人の判断にしても、新品の100点の状態から80点になってしまったらもう価値がない、仮に修理しても100点に戻らないなら意味がないから捨てようと考える人だっていると思うんです。

松本

その点面白いのは、森には100点の状態がないことだと思います。放置された森も最終的には極相林(その地域の気候に最も適した安定した森林の状態)へと遷移しますが、その状態の森は人間にとってどれだけ価値があるかということです。仮に極相林の状態を100点としたら、かつてのように人が地域の森林資源に頼って暮らしていた頃の森の状態は50点かもしれない。だけどその50点の状態が人にとっては最も使いやすい森なのです。そう考えると、今の日本ではアンダーユース(過少利用)で活用されず放置された森が問題となっているので、人間が入りづらくなっている70の状態の森を50まで下げることが人間にとっての修復なのかもしれない。基準が曖昧なものに対して、何をもって修復とするのかということですね。

永島

確かにそうですね。きれいに下草が刈ってある新宿御苑のような、自分たちが関われるレベルの森を好む人が大多数だと思いますし、人によっても100点の森の定義が異なるでしょう。でもそれこそこの森には多種多様な人が出入りすることで、あらゆる100点の森の定義について意見が交わされていきそうな気がします。

松本

動物たちもそこには入ってくるでしょうね。例えばクマが杉の皮を剥ぐクマハギという行動があります。そうすると木が枯れ、その中にハチやアリが巣を作り、それをクマが食べる。ダメージを受けた木は倒れて、できた空の隙間から光が入り、次世代の木が育つ。クマが森を利用することで、結果的に森の遷移に加担しているんです。ですからお金こそ払ってもらっていないけど、人がいない夕方から朝にかけては動物たちもこの森のテナントを借りているとも考えられます。

森の中に残されたクマの活動の痕跡を観察する
上沢

本来なら人間が手を入れないといけないところに動物の営みが加わることで、結果的に修復を手伝ってもらっているなんて都市では起こり得ない、森ならではの関係性ですね。

森をひらいていくための3つの価値基準

永島

大橋さんのような山主さん、それこそ利他の精神と言えるかもしれませんが、毎週のように岐阜市からここまで往復6時間以上かけて通って森をひらく活動をされる方って珍しいんじゃないですか?

松本

そうですね。だから大橋さんのような山主さんもいるということを他の山主さんたちにも知ってもらいたくて、「山主の当事者性・好奇心・愛着がつくる『新しい森の活かし方』」というオンラインイベントを去年開催したんです。山主さんの中には、相続した山がどこにあるのかも知らないですとか、山なんて持っていてもお金にならないと思って関わろうとしない方が、実は大半を占めています。ですが、イベントに参加してくださった山主さんたちは、森の修復について楽しそうに話す大橋さんから少なからず影響を受けているようでした。

上沢

いかに当事者性を持ってもらうかは僕らも難しい課題だと捉えています。アウトドアの服というのは素材を組み合わせて作られているものが多いため、リサイクルするにも素材別に分解することが難しく、多くが燃やされてしまう。メーカーがすぐに取り組めることは、耐久力のある製品設計をして長く使っていただくことなのですが、どれだけ努力したところで、ユーザーに愛着や、修理という選択肢がなければ、その取り組みを十分に活かしきることはできません。

松本

林業業界では、これまで木材を売ることでしか森林に価値がなかったんですが、これからはレジャーなどを通じた空間的な価値や木材以外の林産物といった多様な価値をお金に変えて産業化していく、いわゆる森林サービス産業を推進していまして、この「来福の森」の取り組みも県の森林サービス産業関係の助成を受けています。

松本

そもそも森林の価値とは、次の3つに分類されるという考え方があります。1つは「道具的価値」。自然の恩恵を人間にとっての利便性で測った価値のことで、簡単に言えば、この森にある木材を伐って売ったらいくらになるかということです。2つ目は「内在的価値」。森林があることで水資源を貯蓄し、土砂崩れなどの災害を防いでくれるなどの多面的な機能を含んだ価値のことです。林野庁の試算では、この内在的価値を加味した経済価値は年間75兆円規模にもなるらしいんですよ(木材生産などの経済的価値は年間6700億円)。算出根拠はけっこう無理やりだと思っているのですが、お金に換えられない価値が膨大にあるという指標としての額ですね。そして3つ目が「関係価値」。これは森林と関わることで生じる価値のことで、特定の森林に関わっていくうちに大事にしたいと感じる、いわゆる愛着のことです。ヒダクマとしてはこの関係価値こそがこれからの時代は特に大事になってくると思っています。

上沢

これまでは林業のみならず、あらゆる産業において道具的価値の比重が最も大きかった気がしますが、この先AIなどのテクノロジーの進歩によって従来のあらゆる価値基準が根底から覆るとしたら、ひょっとしたら最後に残るのは関係価値という可能性もあるかもしれません。例えば木製家具なら、ただモノとしての品質でその価値を測るのではなく、どこどこの森で採られた木を使って作られているということ自体が価値とされ、市場を動かす原動力になっていったり。

松本

そうですね。まさに道具的価値ではわかりやすく100点がつけられるけど、関係価値においては100点の状態すらも曖昧になってくることに意味があるのかなと思います。

永島

服のリペアに置き換えてみると、道具的価値ではリペア品は新品に劣ってしまうけれど、関係価値においては新品以上に価値があるということにもなり得ますね。

松本

そしてより多くの人たちが森に関わって関係価値を高めていくには、修復というアプローチはとても有効だと思っています。森を修復していく過程で、大橋さんの森に対する価値観や考え方も変わっていったはずですし、僕らもそんな大橋さんを見て、これまで抱いていた山主さんへの印象も変わっていきました。そうした小さな変化が増え、拡張していくことで、結果的に持続可能な森づくりにつながっていくのだとしたら、修復という行為そのものに価値があると言えるのかもしれません。

リサーチメモ

・森林の再生は、人間が一度手を入れた後の荒廃した状態から出発するため、原生林にまで戻すことを目的にするのではなく、現状の状態を見て残すところと手入れするところを決めていくのが有効。つまり、森林のように「ゴールが存在しない修復」も存在するのではないか。

・一般的には100点(新品)の状態から経年変化によって価値が下がっていく「道具的価値」に対し、「関係価値」を基準にすると、経年変化やリペア・修復の過程でモノの価値が高まっていく場合もある。

・価値を1つの基準に固定すると、外的要因や産業構造の変化の影響を受けやすくなり、修復や手入れを持続することが難しくなる。だからこそ、関わる人ごとに異なる価値を受け入れ、修復へ向かうインセンティブを多様化させる必要がある。特に、企業としてはリペアをする/しないの基準が自社の品質管理のもと画一化されるので、「受け入れる」という選択が重要になる。

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FRL

お話を聞いた人

新岐阜興業株式会社 代表取締役/ビル経営管理士

大橋 司

「来福の森」山主。地元エネルギー系会社に約30年勤め、家業のテナントビル経営を引き継ぐ。さまざまな人がこの場所を自立共生的に使うような仕組みを整えられないかとヒダクマに相談を持ちかけたことで「森をひらくプロジェクト」を発足。多様な使い手が当事者として利用できる「ひらかれた森」を目指して活動する。

お話を聞いた人

筑波大学山岳科学学位プログラム非常勤講師 / みえ森林・林業アカデミー講師

松本 剛

環境事業会社勤務を経て、2009年に森林林業を起点とした地域プロデュースを手掛ける株式会社トビムシ設立に参画。2015年「株式会社飛騨の森でクマは踊る(ヒダクマ)」を設立。2016年、滞在型ものづくりカフェ「FabCafe Hida」をオープン。「森のレッスン」「山観日」「建築家のための森ツアー」「飛騨市・広葉樹のまちづくり学校」など、森と人が出会い活かしあう場づくりに取り組む。

この記事の著者

編集者/ライター

奥田祐也

1987年福岡県生まれ。出版社でカルチャー誌の編集・広告企画に携わり、2023年から北海道移住に伴いフリーランスに。趣味のアウトドアと旅の経験を活かして全国各地でジャンルレスに取材から撮影までを行う。現在は旭川近郊で古民家を自分の手でリノベーションしながら、東京と北海道の自然を行き来する暮らしをしている。

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