災害 = 危険を引き起こす加害力 × 社会の脆弱性
災害(disaster)とは、危険を引き起こす加害力(hazard)× 社会の脆弱性(vulnerability)と定義されるが、災害対応とは災害によってダメージを受けた社会の回復過程であり、供給サイドから経済的に見るならば、災害によってうまく供給されなくなったり、新しく需要が創出されたりした財・サービスを供給することである。
「地域安全学会論文集 No.33,2018.11 災害時における財・サービス供給のガバナンス構造の理論的検討」菅野拓
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jisss/33/0/33_75/_pdf/-char/ja
今回お話を伺った『災害対応ガバナンス―被災者支援の混乱を止める』の著者で、災害ケースマネジメントや災害対応などについて研究する菅野拓大阪公立大学准教授は、災害と災害対応をこう捉える。
ここまでのリサーチで、モンベルのアウトドア義援隊や野口健さんが主宰するNPO法人ピーク・エイドによる物資支援やテントサイトの設置など、アウトドア業界からの様々な災害支援のかたちがあることがわかった。しかし実際に企業という大きな体が動くにあたって、簡単ではない場面も出てくる。石川県令和6年能登半島地震復旧・復興アドバイザリーボード委員も務める菅野さんに、企業が災害支援を行う際の課題や取り組みのあり方について可能性を探るべく話を伺った。
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菅野拓
大阪公立大学大学院文学研究科准教授。臨床の社会科学者。大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(文学)。専門は人文地理学、都市地理学、サードセクター論、防災・復興政策。石川県「令和6年能登半島地震復旧・復興アドバイザリーボード」委員も務める。
「災害はある地域にたまにしか起きない」
1月1日能登半島地震発災後、道路に大きな被害があったことで、被災地内の移動は限られた道を安全に配慮しながら非常にゆっくりとしたペースにならざるを得なくなっていた。それゆえ移動時間が通常の数倍もかかってしまったり、道によっては渋滞が発生したりという状況が起きていた。さらに宿泊するための施設等も確保できず、自治体からは一般のボランティアが来ることを見合わせるよう要請があり、ネット上でも行ってはいけないという論調が多く見られた。その結果、移動がある程度可能になってからも現地では長らくボランティア不足となり、ケアや復旧が進まないという声が頻繁に上がることとなる。
ボランティア用の宿泊施設等も徐々に整備され、4月6日には「のと鉄道」は全線復旧。自治体からもボランティア参加の要請があったことで4月以降ボランティアの数は増えたところもあるが、時間経過とともに報道が減り、継続した参加数の増加は望みにくい状況だった。被災地支援を企業の単位で考えた時、自治体からボランティア自粛の要請があった場合、企業はいかに動くことができるだろうか。
「奥能登から富山、新潟までグラデーションをもちながら被災地は広がっていました。特に厳しいところは本当に人が入って行けない状態。ボランティアに参加しようにも通常の人は宿泊や食事、排泄など、自己完結可能な訓練を受けておらず、テント生活を続けながら支援をして帰ってくることができるかという問題がありました。そんな状況で企業は行政がコントロールする中で動かざるを得ないところがあったと思います」
SNSによってひとりひとりが自分の状況を伝えることができるにも関わらず、特定の人や地域を取り上げにくい自治体からの声だけでは、個別の困難さやニーズを把握することは難しい。企業であるモンベルが4日から動き始められたのは、95年からの豊富な支援経験はもちろん、義援体という会社とは別の組織として動いたからだろう。
「社会問題としての災害の特徴は『ある地域にたまにしか起きない』ということであり、災害対応の難しさの原因にもなります。だから自治体は突然起きた事態にいつも初めて対応することになってしまう。国単位では内閣府が国の防災政策を所管しているのですが、各省庁からの出向者で構成されていて概ね2年交代になっています。つまりマニュアルは作れても、知識や経験は蓄積していかないということです。緊急事態にマニュアルのみで対応できるのであれば、みんな困りませんよね。私たちの社会は、災害対応について素人にとどまらざるを得ない人に多くの仕事を任せてしまっているわけです」
知識や経験、情報、関係値が蓄積しない自治体の限界
「問題となっているのが、行政は災害対応経験があるのかということなのです。今回も公的な支援よりも、商流が戻る方が早かったところも多かった。厳しい被災地でもドラッグストアやコンビニはがんばってお店を開けていました。一方で避難所はひとりにパンが1個みたいな状況が一ヶ月以上続いたところもあります。例えば企業は物流のプロである一方、自治体の首長やそれについては素人です。法制度上、プロに自由に支援活動をしてもらうのではなく、不慣れな司令部を噛ませなければいけないことで遅れが生じていました」
アルピニストの野口健さんと野口さんが代表を務めるNPO法人「ピーク・エイド」は、ヒマラヤ地震を現場で被災した際に始めた支援をきっかけに、熊本や新潟の災害でも防寒着や寝袋、テントなどアウトドアの知見をいかした支援を続けてきた。野口さんの知名度と経験と実績、何より行動力と寄り添う心をもって活動し続け、現在では自治体の首長たちと直接やり取りをしながら、速度ある支援をしている。今回の能登でも同様に寝袋を1万個近く届け、岡山県総社市と協力してボランティアのためのテント村まで用意している。
「自治体によって違いますが、首長でしか調整できないことが多いのは事実です。初めて緊急事態に臨む集団がことにあたるために、職員間で情報すら共有されないことも山ほどあります。平時は1年間かけて予算組みをする組織が、3時間後や明日という単位で決定して、行動に移すというやり方はどうしてもスムーズにいきません。とはいえ、野口さんのように首長と直接やりとりできる人や団体は限られているわけで、誰しもができる一般的な方法ではありません」
これからの支援活動をリサーチをしている我々同様、今後支援を検討するかもしれない他の企業や人も同じ方法を検討できるような、やり方を調べる必要がある。
「災害時に高騰するのは人と人が取引する際に発生する手間である調整コスト。普段から付き合いがある人の話であれば信頼できるが、そうじゃない人を信頼するための時間や手間がかけられない。つまり信用保証が重要な問題になります。支援しますと初めて来た人をいきなり信じて大丈夫なのか。混乱した状況で悪徳業者や素人の可能性がある以上、自治体はリスクの検討をしなくてはいけませんから。被災直後は真っ先にNPOやNGOが動くので、そうしたところと一緒に対応する枠組みがあることで、スムーズに支援活動に入れるようになると思います。」
餅は餅屋に任せる
4月3日に起きた台湾東部沖地震では、地震発生後二日のうちに避難所にプライバシーが確保されるテントが配備され話題になった。それは、医療や教育をはじめとする様々な慈善事業を世界中で行う台湾のNGO「財団法人台湾仏教慈済(ツーチー)慈善事業基金会」の迅速な対応によって実現していた。
「支援のプロであるNGOが台湾の行政と連携できていたから実現できたのです。NGOにはノウハウが組織として蓄積されています。被災経験が乏しく、数年で異動することが常である日本の自治体では難しい」
慈済は能登半島地震の二日後には先行スタッフが現地入りし、状況をリサーチし、その後炊き出しなど迅速な支援活動を行なっている。東日本大震災のときも、発生から5日後には現地で活動を始め、直接の現金支援まで行なっていた。日本では、阪神・淡路大震災でのボランティアの活躍から、1995年が「ボランティア元年」と呼ばれ、98年にはNPO法が成立しているが……
「日本ではNPOやNGOがまだまだ一般化していない。NPOにかかわる法整備は先進国の中でも100年ぐらい遅れています。法整備が遅いと言われたフランスですら1901年に日本でNPO法にあたるものができています。世界では、大学を出て働く時の選択肢として、政府や民間企業と並んでNPOやNGOが存在しています。それぐらい存在感のあるセクターとしてNPOやNGOが存在しているのが通常の先進国。このような状況なので日本の市町村レベルで連携ということになかなか至らないのです。変わってきてはいます。でもまだ諸外国に比べると脆弱です。国は道路などハード面においては“過剰”なほどに復旧を進めます。一方で被災者の救助や支援を行うための災害救助法は1947年に成立したものの、根本的な部分はあまり大きく変わらずに今に至っています。そんな古い道具で立ち向かわなくてはいけない自治体も大変なわけです」
「ある地域にたまにしか来ない」災害。いつ起きるかわからないことは政治の世界ではなかなか変わらない。基本的な法律を変えるには、それに関連する多くの法律を変えなくてはならず、根本変更には数年かかる。しかし、内閣府(防災)の職員は2年ごとに元の省庁に戻る。根深い構造問題である。
「ちょっとずつでも変えないといけません。今回の能登地震では、高齢化した社会におけるケアの不足がとても大きな問題でした。社会福祉団体や経済界からももっと自分達に噛ませろと言ってほしい。素人にとどまらざるを得ない自治体よりも効果的に安く支援できると思います。『餅は餅屋』という話をよくしています。専門性を持った企業やNPO・NGOに参画してもらった方がいいのです。自治体に毎回古い道具を使ってやってもらうのは資源の無駄使いです。自治体が得意なことは他にもっとあるのですから」
自律した支援活動を実現するためのアウトドアスキル&アイテム
現在自治体との包括連携協定を結び防災面においても協力体制を作っていこうとしているが、菅野さんはそれ以上にNPOやNGOとの連携、そしてアウトドアのノウハウやギアを生かした支援の方法があるのではないかと提案してくれた。
「民間や専門組織と組むべきだと思います。地域と何かを一緒に実施するというのはすごく大事です。ですが、グローバルなCSRとかSDGSの文脈でも企業は国や政府と連携を取る以上に、NGO・NPOと連携します。専門性がそこに蓄積しにくいことを、みんな体感しているはずです」
「今回の能登の震災はケアの問題が噴出しました。医療支援チームであるDMATは難民支援等でも活躍し、平時から災害が起きた時の訓練をしています。彼らの仕事は、緊急時の医療はもちろんのこと、ダメージを受けた地域の医療機関が再び活動できるようにすることも含まれます。人も足りない、設備も水もないという状況を把握して、人が足りないところに人を配置し、水の手配をし、事務的なことも代行します。このようにして地域の医療を回復させていく。そのDMATが通常の災害では1週間から10日くらいの派遣期間のはずが、今回は2カ月程度派遣されていました。12万人程度の人口規模の地域に対して日本にあるDMAT1700チームのううち1100以上のチームが支援に入っていた。こんな状況で1000万人以上いる首都直下の災害が起きたらどうにもならない」
「その原因は医療以外の保健や福祉、在宅被災者への聞き取りのような、本来DMATがしなくていい仕事もDMATがしていたからなのです。というのも、その領域の災害派遣チームの組成・準備・訓練が足りていなかったからなのですね。特にフルセットでサバイバルできるような訓練がされていませんでした。福祉のDWAT(Disaster Welfare Assistance Team)や保健のDHEAT(Disaster Health Emergency Assistance Team)などDMAT以外にも様々なケア分野の災害派遣チームのサポートや平時の訓練、共同で装備を開発していくといったこともできるかもしれません。アウトドアを生業にする企業としては、そうしたところで何か一緒にできることがあるじゃないでしょうか。互いに継続的に専門性を蓄積していくことができると思います」
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【DMAT】災害派遣医療チームDisaster Medical Assistance Team
発災から48時間以内に活動できるよう専門的に訓練されたチーム。医師1名・看護師2名・業務調整員1名の4~5名で構成される。阪神・淡路大震災を契機として2005年に発足。厚生労働省にDMAT事務局が設置されているのは日本DMAT。その他、都道府県が独自に整備する都道府県DMATがある。
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【DWAT】災害派遣福祉チームDisaster Welfare Assistance Team
災害時に医療関係者らで編成されるDWATの福祉版。介護福祉士や社会福祉士、精神保健福祉士、保育士、介護支援専門員ら5名で編成される福祉専門職チームで、大規模災害発生時に避難所へ派遣され、食事やトイレなど介助などを行い、相談支援や環境整備の助言を行う。
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【DPAT】災害派遣精神医療チームDisaster Psychiatric Assistance Team
災害時の精神科医療や精神保健活動の支援を行う専門チーム。精神科医師、看護師、事務職員等による3~5名(車で移動できる機動性を確保した人数)で構成される。移動日2日、活動日5日の7日間を標準とし、必要であれば数週間~数カ月継続する。2014年の広島豪雨での大規模土砂災害が正式な初派遣。
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【DHEAT】災害時健康危機管理支援チームDisaster Health Emergency Assistance Team
都道府県の保健医療調整本部・保健所の指揮調整機能を支援し、防げたはずの災害死や二次的な健康被害の拡大を最小化するために活動する。主に急性期から慢性期にかけての間、救護所・避難所から医療ニーズなどの情報を集め、健康危機管理組織に報告し、後方支援の要請・不足資源の調達など組織・職種横断的な調整を行う。1チーム5名程度で編成される。公衆衛生医師・保健師のほか、薬剤師・臨床検査技師・管理栄養士・精神保健福祉士・連絡調整員などが参加する。活動は1チームあたり1週間以上を標準とし、必要に応じ、数週間~数カ月継続する。
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(引用:世界防災フォーラム)
専門知識を活かしてその現場に入ったとして、そこでその専門性を最大化するための準備ができてないという状況があったということであり、自律分散的に状況を生き抜くアウトドアのスキルや道具はそうした事態を好転させる可能性があるということ。
「どういう相手と組むといい形で価値が発揮でき、自社のミッションに適したことができるのか、という発想で多分考えられるほうが正しいと思います。不得意なことを別にやる必要はないと思います。得意なことを発揮できる相手を探す」
信頼関係を築いていけるNPO・NGOと“コーディネーター”の存在
企業のガバナンスの問題として考えたとしても、支援活動を始めるにあたって何が求められているのかなど信頼できる情報を得られる相手との関係を平時から築いていくことが大切になる。
「災害に向けて平時からNPOやNGOと信頼関係を築いていくようなお付き合いをしていく必要があります。行政は確かに公的には信頼性が担保されていますが、組織内の異動で担当が変わってコミュニケーションがスムーズにいきません。ちゃんとした効果を上げていこうと思うと、平時から目利きをして決まった相手とお付き合いしていく方がいい」
菅野さんは、著書や論文の中でそうした際にキーとなる人物を“コーディネーター”と呼び、その重要性を訴えている。コーディネーターは、災害時に越境的協働を生み出すハブ的な役割を果たす存在であり、4つの特有の技能を備えている。
当然とみなされる行為が人物によって異なるため、協働する際にさまざまなやり取りがスムーズにいかないといった形で取引費用が高騰する。これに対応するために、各人物が内面化している制度の差異を了解可能とする(文化翻訳、cultural translating)、問題や手法にかかわる認識を共通にするなどして資源・知識の動員や組み合わせの意味を明確化する(フレーミング、framing)、人物同士を結びつけて社会ネットワークに新たなリンクを形成することで資源・知識の動員や組み合わせを容易化させる(ネットワーキング、networking)、各人物が成員として認識するような組織(境界が流動的なものから、固定的なものまでさまざま)を成立させて資源や知識を蓄積し活用する(組織化、organizing)という、4種類の技能を駆使し資源・知識動員にかかわる取引費用を低減させる行為(コーディネーション)を行う。これらの技能を駆使することによって、越境的協働を成立させる役割を果たす人物がコーディネーターである。
(「職業としてのコーディネーター ―越境的協働を促すメカニズムの体現者―」)
“ある地域にたまにしか起こらない”緊急事態を乗り越えるためには、誰かひとりの力でも、どこかひとつの組織や企業の力でもどうにもならない。コーディネーターの存在は、そうした状況で分散的に発生する支援を、被災者のためというひとつにまとめる。ハブとなるNPOやNGOのコーディネーターとなる人物と平時から繋がり、関係を築いていくことは、自分たちの行う企業活動が社会活動として、どんな意味や役割があるのか再確認することでもある。
私たちは何屋だろうか。
この記事の著者
社会科学者
菅野拓
大阪公立大学大学院文学研究科准教授。臨床の社会科学者。大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(文学)。専門は人文地理学、都市地理学、サードセクター論、防災・復興政策。東日本大震災発災直後からパーソナルサポートセンターにて仙台市と協働し、被災者生活再建支援事業・生活困窮者自立支援事業を立ち上げ、現在は理事。最近の主な委員として復興庁「多様な担い手による復興支援ビジョン検討委員会」ワーキンググループメンバー、内閣府「被災者支援のあり方検討会」委員、厚生労働省・内閣府「医療・保健・福祉と防災の連携に関する作業グループ」参考人、石川県「令和6年能登半島地震復旧・復興アドバイザリーボード」委員など。
この記事の著者
good and son
山口博之
FRLエディトリアルディレクター/ブックディレクター/編集者。
1981年仙台市生まれ。立教大学文学部卒業後、旅の本屋BOOK246、選書集団BACHを経て、17年にgood and sonを設立。オフィスやショップから、レストラン、病院、個人邸まで様々な場のブックディレクションを手掛けている。出版プロジェクトWORDSWORTHを立ち上げ、折坂悠太(歌)詞集『あなたは私と話した事があるだろうか』を刊行。猫を飼っているが猫アレルギー。
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