連想の練習 01

連想の練習

2026.05.25 Mon

みなさん、はじめまして。Goldwin Field Research Lab.の石です。これから始まる連載は、FRL.と建築家・大野友資さんによる、「連想」をテーマにしたプロジェクトです。

大野さんが手がける建築や空間には、歴史や文化、技術、身体感覚、日常のささやかな違和感までもが織り込まれています。彼と話していると、ひとつの風景の中に、いくつもの見方が同時に存在していることに気づかされます。

以前、中国のプロジェクトをご一緒した際も、土の話から植物、道教、中国人の性格、漢方へと話題が広がり、いつの間にか昼ごはんの盛り付けの話に戻ってくる。大野さんと話していると、自分にとって見慣れていた中国の風景も、まったく別の風景として立ち上がってくることが何度もありました。

そういえば、日本に来たばかりの頃も、友人と「なぜ四川料理は辛いのか」、「“楽しい”と“嬉しい”はどう違うのか」といった話をするたびに、お互いにとって当たり前だったものが別の角度から見えてくる感覚がありました。

他者の視点に触れることは、自分の中にある世界の見方を少しずつ広げていくことでもあります。世界を知れば知るほど、あらゆるものがつながっているように感じる一方で、自分がまだ知らないことの多さにも気づかされます。そしてそのたびに、世界にはまだ無数の見え方が残されているのだと思わされます。

この連載では、大野さんとさまざまなゲストが同じ公園を歩きながら、散歩の中で生まれる気づきや連想を記録していきます。世界がすでに豊かで多様であるとしたら、私たちはどのように、それをもう一度見つめ直せるでしょうか。

まずは、大野さんのこの連載に向けた序文をお読みください。このプロジェクトがこれからどのような道を歩き、どのような風景に出会っていくのか、ぜひ一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

連想の練習

    

いま、私たちの家やスワン家の庭に咲くあらゆる花が、ヴィオンヌ川の睡蓮が、善良な村人たちが、 彼らの小さな住まいが、教会が、コンブレー全体とその周辺が – そうしたすべてが形をなし、鞏固 なものとなって、町も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである。

マルセル・プルーストの長編小説『失われた時を求めて』。語り手がマドレーヌを紅茶に浸して口にしたことがきっかけで、不意に遠い記憶が思い出されて物語が展開していく有名なシーンです。

その頃の私はマドレーヌとフィナンシェの違いもおぼろげでしたが、なんでもないようなことがきっかけで、フラッシュバックみたいにどこか遠い所に意識が飛んでいくことって確かにあるよなあ、なんていたく共感したのを覚えています。

何かあることをきっかけにして、個人的な経験や知識と結びついて、別の何かを思い出すことを「連想」といいます。子どもの頃から、すぐその連想の世界に入ってしまう癖があるのですが、そのせいか、よく話題がジャンプするといわれます。ラーメンの具の話をしていたはずがカピバラのあくびのことを考えていたり、窓サッシの納まりを検討していたはずが東南アジアのチョコプリンみたいな果物を食べたくなっていたり。自分の中では連想が地続きにつながっていて、ちゃんと整合性が取れているのです。

マドレーヌを紅茶に浸すような暮らしはしていないけれど、散歩や街歩き、フィールドワークなんかをしていると、環境にあるあらゆるものがトリガーになって連想が連鎖していきます。春先に沈丁花がどこかからふわっと香れば、沈丁花の植え込みに囲まれた祖師ヶ谷大蔵の小さな公園のことを思い出します。そして白と赤紫が混ざった可愛らしい花びらを見るたび、リスボンに住んでいた頃によく食べていたジェラートのことが浮かぶのです。カシスとヨーグルトのコンビがお気に入りで、カップの中でマーブル状になってちょうど沈丁花みたいな色でした。その頃履いていたハワイアナスのサンダルの、インソールが汗ばんだ足の裏にへばりつく、あのぴったりとした感触までがよみがえってきます。

それはとても個人的で、誰にも邪魔されない自由で密かな遊びです。

散歩していて空き地にヨモギが群生していたら、ある人にとってはその他大勢の雑草のひとつでしかなく、ある人にとっては草餅を思い出させ、ある人にとってはそれがカズザキヨモギかオオヨモギかが重要なのかもしれません。私の場合は秋にヨモギを見かけると、ヨモギの花穂に見事に擬態するハイイロセダカモクメの幼虫をつい探してしまいます。同じものを見ていても、何を連想するのかは人によって全く違う。そうした違いを味わうのは、誰かと散歩するときの楽しみのひとつです。

これから約一年間、数組の散歩好きたちとともに、実験的な試みを始めることにしました。同じ場所を、時期を変えて、毎回違う誰かと私で一緒に歩いてみる。ルールはひとつ、「目の前にあるものから連想したことを話しながら歩く」、それだけです。

フィールドを固定することで、各回の歩き方の差分が鮮やかに浮かび上がってくるでしょう。毎回の散歩には台本もテーマもありません。見るもの全てにひっかかってしまってスタート地点からほとんど動けない散歩もあるかもしれないし、聞こえてくる音や薫ってくる匂いを頼りに五感で進む散歩もあるかもしれない。

場所はとても迷ったのですが、日比谷公園を選びました。

私にとって日比谷公園は、すごく洗練されているわけでも、野性味に溢れているわけでもないのだけれど、いつ訪れても違う一面を見せてくれる場所です。とにかく情報量が多いのです。日本で最初の都市公園らしいのですが、なぜか埴輪が置かれていたり、ヤップ島の石貨が置かれていたり、南極の石が置かれていたりします。江戸城の石垣が残っているかと思えば、老舗洋食店の松本楼からビーフカレーの匂いがしてきたりする。そもそも海だった場所を埋め立てた土地に作られている。噛めば噛むほど味が出てくる。それが日比谷公園です。

毎回の散歩で湧いてきた連想は、可能な限り記録してアーカイブしていきます。連想の記録と歩いた軌跡とを照らし合わせることで、私たちが歩きながら何を見て、どんな世界と接続しているのかが少しずつ見えてくることを期待しています。同じ場所でも、歩く人が変われば観察と連想の物語がまるごと変わる。その面白さ、そして一人称の認知が描き出す世界の豊かさが、この試みを通じて伝われば嬉しいです。

ちょうど日比谷公園で散歩した帰りに立ち寄った銀座三越の地下で、ノワ・ドゥ・ブールのマドレーヌ売り場の前を通りかかった時、読み終わったことのないプルーストのことを思い出して、このテキストを書いています。

大野友資

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FRL

この記事の著者

DOMINO ARCHITECTS

大野友資

建築家/DOMINO ARCHITECTS代表/FICCIONES所属/東京藝術大学非常勤講師/一級建築士
1983年ドイツ生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、東京大学大学院修士課程修了。カヒーリョ・ダ・グラサ・アルキテットス(リスボン)、ノイズ(東京/台北)を経て2016年独立。2011年より東京藝術大学非常勤講師、2023年より東京理科大学非常勤講師を兼任。

リサーチメンバー

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