Research 0/リサーチ ゼロ
「Research 0/リサーチゼロ」は、リサーチ前のリサーチです。
そのフィールドには何があり、我々はどんなことができ、何をすべきか、しないべきかについて、まずは現地に足を運び、見て、聞いて、調べて、考えてみるための第一歩です。そこで見つけた種が、様々な可能性のなかで芽吹き、育ち、新たなリサーチへと続いていきます。
海士町で私たちができることを探しに
3月上旬の悪天候で二日間の欠航が続いた島根県境港発隠岐諸島行きのフェリーは座る隙間もないほどの混みようだった。フェリーの席がどうなっているのか何も知らずに買った二等室は絨毯敷きの大きな座敷で、遅く着いた我々のスペースはなく立って乗ることに。
しかし動き始めたフェリーを迎える波はまだかなり荒く、立って乗り続けたら一瞬で酔ってしまうと全員が判断。急遽予約が必要な個室の空きを確認し、一番高い特別室のみ空いているとのことで致し方なく切符を買い五人で個室へと移動した。
”船前方に位置して眺めも最高です、全室予約制となっています。ゆったりとした船旅をお楽しみいただけます”と隠岐汽船のホームページに記載があった部屋は、波を迎えに行く船前方に位置しているがゆえに揺れの大きさもすごい。これまで味わったことのない揺れが我々を襲う。初めての隠岐行きにも関わらず帰りもこれに乗るのかと皆んな真っ白な顔になりながら、酔い止めの薬に何とか助けられ海士町に到着。




離島における希望としての海士町
島根半島から沖合約60Km、日本海に浮かぶ隠岐諸島は島前と島後に分かれ、島後の「隠岐の島町」と島前三島の「知夫里島(知夫村)」、「西ノ島(西ノ島町)」、「中ノ島(海士町)」からなる。海士町のある中ノ島は面積33.51k㎡、周囲89.1 ㎞という小さな島だ。

2024年8月に始まったフィールドリサーチラボだが、始まって間もなく、いち早くコンタクトしてくれたのが海士町にあるAMAホールディングスだった。AMAホールディングスは、隠岐諸島中ノ島の海士町にある行政と民間、島内と島外、都市と地方、あらゆる境界を越えながらまちづくりに取り組む第三セクターで、海士町の「攻め」の政策を担う組織として設立されたという。
少子化、人口減少が国レベルの課題となっているなか、多くの離島はその課題の先端地域ともいえる。そんな離島のひとつである、海士町は「ないものはない」のスローガンを掲げ、村長はじめ役場が給料カットなど身を切る改革を行いながら、同時に志の高い移住者を増やすべく様々な活動を行ってきた。最盛期は人口約7,000人だったが、現在では約2,200人。多くの地域同様人口は減ってはいるが、ユニークなのは移住者がすごく多いということだ。ここ20年で1,000人近い移住者がやってきて、その半数近くが定住しているという。そして、やってきた新しい”よそ者”たちが、役場とともに積極的に新しい改革や事業をスタートさせ、日本でも稀に見るおもしろい取り組みに挑戦し続けてきた自治体となった。連絡をくれたAMAホールディングスのメンバーも多くが移住者だ。
ジオパークというポテンシャル
隠岐諸島はユネスコの世界ジオパークに認定されたエリアであると同時に日本の大山隠岐国立公園の一部でもある。ジオパークは、「地質学的重要性を有するサイトや景観が、保護・教育・持続可能な開発が一体となった概念によって管理された、単一の、統合された地理的領域」のことであり、大地と海、そしてその風土そのものが財産であると同時に、訪れたを人を魅了する風景でもある。





AMAホールディングスは、そうした地球史的にも価値ある地域資源を守り、海の未来を変える挑戦を実現していく「シン・ブルーオーシャン戦略」を2024年6月から始動。その一環として冬の海を生かしたアクティビティを一緒に作れないかというのがFRLへの相談だった。
しかし、行きのフェリーや視察した日の風のすごさを体験し、冬の海のすごさを身をもって感じた後で安全に冬の海を活用するアイディアをすぐには思いつかない。
海士町見て回ってから、フェリーで知夫里島(知夫村)と西ノ島(西ノ島町)に渡り、隠岐諸島の様々な姿を見せてもらったのだが、そこで我々は隠岐諸島のジオパークとしてのポテンシャルを思い知らされ、その魅力に驚いた。
素晴らしい風景が広がる隠岐諸島
知夫村の赤壁、山頂の展望台から島前カルデラを一望することができる赤ハゲ山、かつて畑作と放牧を年ごとに切り替えるための仕切りとして使用された赤ハゲ山の石垣「名垣(みょうがき)」は全長1,000 mにもなる。
そして、西ノ島には日本最大級の断崖である摩天崖がある。その他にも見るものを圧倒する雄大な大地の風景が様々に展開していく。


隠岐諸島は火山活動によって誕生した島であり、島前は噴火によってマグマが噴出し、火山口下部が空洞化して陥没したことでカルデラを形成した。このカルデラ地形は、”外周の島々が堤防、中央の焼火山が灯台の役割を果たしており、外海側は日本海の荒々しい波風を受けていても、内海側は比較的穏やかな環境が保たれて”いるのだという。
観光地としてある摩天崖や標高325mの赤ハゲ山への道は、起伏も厳しくない上に、頂上や崖の上からの見晴らしが素晴らしく、ハイキングやトレッキングとしてとても気持ちがいい。



放牧された牛と馬が最高であること
気持ちいいの風景を巡りながらも我々の目を引いたのは、絶景のなかに放牧されている牛や馬だった。
火山の酸性土壌が多いため、隠岐では牧畑といった原始的農法が近年まで続けられた。牧畑とは、1960年代後半まで営まれていた隠岐独自の農法で、島の土地を石垣で区切り、4年サイクルで放牧、アワ・ヒエ、大豆、麦などを順番に栽培するというもの。牛や馬を放牧することで、排泄される糞尿が土地の栄養を回復させ、再び作物を栽培できるという効果があった。牛や馬が自然の風景のなかで過ごすということが、古くから続けられてきたのだ。
現在放牧で飼育されている牛は種牛(品種改良や繁殖のため)で、隠岐牛としてブランド化されてもいる。

牛や馬が行きたいところに行き、食べたい時に食べ、歩きたい時に人間と同じ道路や草原を歩き、時に人間の入らない森のなかへも入り、そこが獣道になっていく。放牧された牛の頭には帽子のようなGPSが付けられている。やんちゃな牛などに付けて、帰ってこない時に探しにいくためだという。牛は車で進む道にいることもあるし、人の家の庭にいることもあるそうだ。そうした風景としての美しさや長閑さに、動物と人間、自然と人間の付き合い方の可能性が見えてくる。
人間の暮らしと分け隔てない動物の放牧というあり方は、動物の自由を可能な限り確保するあり方であり、牧畑という過去の土地の命を支える仕組みの名残であり、隠岐牛という現代の新たな産業の方法論でもあり、ジオパークや国立公園という人間と動物双方にとって意味のある自然を保護するための活用方法でもある。

牛が自由に生きる環境の可能性
地球というひとつの場所を共有する存在として、脱人間中心主義や多様な生命種が混交するマルチスピーシーズな世界観が各所で議論されている現在だが、そうしたアニミズム的な世界観は、アニミズムが身近な日本人でも忘れてしまいがちだし、何ならそんな非人間中心な世界観がピンとこない人もいるだろう。
牛たちの行動の個性は、それぞれの性格に加え、食べる植物の環境と歩く環境によって導かれている。よく歩く牛もいれば、牛舎からあまり離れずに草を食べ続ける牛もいる。子連れの家族で動く牛たちもいれば、単独行でとんでもない崖や鬱蒼とした場所に分け入っていく牛もいる。

ジオパーク、国立公園の大地には大量に牛や馬の糞が落ちており、我々が歩いているのは果たして土か糞の上なのかわからなくなってくる。牛や馬が自由に歩き回り、草を食べ、糞をし、糞が土に還り、植物や他の生命の養分となり、また草が生えてくる。そうした営みの場所を、美しい風景と体験を求めて人間が歩く。海のアクティビティを作れないかと訪れたリサーチだが、牛や馬とともに歩くということに他の生命種との関係の作り方における新たな可能性を感じた。
「Trace The Trail (of cows) / 牛の道を辿る」
そうした魅力的な風景を目の当たりし、我々がアクティビティとして考えたのが、牛の「歩いた道=トレイル」を人間が「歩き直す=トレース」するという島歩き。記録されているGPSを付けた牛たちが歩いた道を、牛の速度、牛の距離、牛の時間、牛の目線で、人間が歩き、過ごす「Trace The Trail (of cows) / 牛の道を辿る」。もしくは、「Trace the Cow’s Trail」だろうか。



観光地は人間中心に設計され、歩きやすい道やサイン、ガイドの看板が整備されていることが多い。だが、例えば摩天崖ではほぼサインもガイドもなく、なんなら明確な道もない。あらゆる場所にあるのは牛と馬の糞だ。人間のための観光地としてではなく、動物が生きる生息地として歩くためには、私たちの目や耳、鼻ではなく、牛のそれに習ってみることが必要なのではないか。どの牛の道をトレースするかによっては、めちゃくちゃ歩かされるかもしれないし、まったく歩かないかもしれない。同じ道を行ったり来たりするかもしれないし、とんでもない場所に連れて行かれるかもしれない。牛の時間、牛の目線で隠岐という島と風景、風土を体験してみることができたら、これまでと違う新しい自然と人の関係が築けるかもしれない。
まずはGPSをつけた牛の道の調査とテストトレイルから始めてみたい。おもしろいアクティビティになるだろうか。そして牛たちは私たちをどこに連れて行ってくれるだろうか。

帰りは落ち着いた海で、行きの辛さがまるで嘘のように穏やかな移動。デッキの海風も気持ちよかった。2等室で雑魚寝しながらあっという間に到着したことをお知らせいたします。また行くのが楽しみです。
HELLY HANSEN Island Project
HELLY HANSENはかつて「HELLY HANSEN Island Project」と題して、おおよそ7000にも迫る日本の島々のなかから、特に注目するひとつの島・諸島にフォーカスするプロジェクトを企画し、ブランド独自の視点で現地の魅力を紹介していました。その第一弾として、島根県隠岐諸島の島前が取り上げられています。
https://www.hellyhansen.jp/notes_on_islands/vol1_oki_islands/
この記事の著者

good and son
山口博之
FRLエディトリアルディレクター/ブックディレクター/編集者
1981年仙台市生まれ。立教大学文学部卒業後、旅の本屋BOOK246、選書集団BACHを経て、17年にgood and sonを設立。オフィスやショップから、レストラン、病院、個人邸まで様々な場のブックディレクションを手掛けている。出版プロジェクトWORDSWORTHを立ち上げ、折坂悠太(歌)詞集『あなたは私と話した事があるだろうか』を刊行。猫を飼っているが猫アレルギー。
https://www.goodandson.com/