年表:地震の発生と法律の制定
1995年の阪神淡路大震災発生を機に、それまで経験のなかった被害の甚大さから地震に対する概念が変わったと言われている。日本では大きな被害をもたらした災害の後に、被災者支援、復興支援、防災等様々な法律が作られてきた。その阪神淡路大震災が起きた95年以降の国内における大きな震災の発生と、災害関連の主要な法律の制定について年表にし、日本の災害を簡単に振り返る。
阪神淡路大震災を機につくられた 法律やボランティア
阪神淡路大震災が発生によって国民全体が地震に対する恐怖を覚え、「備える」「防災」ということが強く意識され、新しく様々な法律が制定された。
発災当年の1995年には、「地震防災対策特別措置法」をはじめ、建物の耐震に関する法律や、再建措置に関する法律など新たに4つの法律が制定された。
また、阪神淡路大震災を機に一気に注目を集めたことに、災害ボランティアの広まりがある。およそ百数十万人とも言われる人たち(個人や団体を含む)が被災者支援、復興のために集まり、「ボランティア元年」と呼ばれた。
ボランティアの可能性や有効性が様々なレベルで認知されたが、活動資金をめぐる経済的側面やボランタリーな活動のモチベーション等心理的側面での継続性の問題をはじめ、組織やグループのマネジメント、ボランティア志望者と被災者/被災地の需要と供給のミスマッチや情報環境をめぐる問題など、新たな組織のあり方や法整備の必要性が議論されるようになる。
震災から3年後の1998年、「特定非営利活動促進法」、いわゆるNPO法 が制定された。NPO法制定は市民主導の社会をつくるという視点を持った上で、立法にあたって政府主導ではなく、市民団体と国会議員が協力して制定された法律という意味においても革命的な法律とも言われている。
東日本大震災発災後に見直されたこと
95年の阪神淡路大震災から約30年が経つ間にも大小様々な災害があった。その中でも圧倒的に被害が大きかったのは、2011年に発生した東日本大地震だ。この震災では特に、津波の恐怖を国内外に知らしめた。以後、津波対策の推進に関する法律、津波防災地域づくりに関する法律が新しく制定された。
また、大規模災害からの復旧に関する法律、強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災等に資する「国土強靭化基本法」「首都直下地震対策特別措置法」など今後の災害に備えるための法律が制定された。災害対策基本法の改正もされ、大規模災害が起きた際の特別な措置について見直しや、今後起こりうる南海トラフ地震など東京や大阪など都市を含む地震を想定した災害に備える法律ができたことが大きな動きだった。
また近年では地震のみならず、地球温暖化による影響も指摘される異常気象から水害などの自然災害も多くなっている。誰でもいつどこでも被災者になり得るという構えを持つ必要があるように思う。ひとたび災害が発生し、被災地(被災者)となれば、ただでさえ災害自体への恐怖と不安に苛まされるなか、その後の生活や復旧作業、そして復興に向けて根気強く向かい合わなければいけないという試練がある。
変わらない日本の避難所問題
被災後に過ごす家となる避難所の現状と、どのような対策・支援が行なわれてきたかを見ていきたい。
災害発生後の一時避難所日の環境に関しては、以下で見ていくような100年変わらないと言われるような状況がある。平時の暮らしは改善され続ける中、一向に改善されない避難所のあり方が国内外で問題視されている。
避難所は場所を提供するだけではなく、設備面(空調や一人ひとりの使える広さ)や衛生面(トイレやお風呂、感染症の流行など)、プライバシーや女性、子供の安全面(着替えや女性の洗濯、性被害の発生など)が守られていなくてはならない。食事の面では、インスタント食品や備蓄用食品ばかりではなく、温かく栄養のあるものの提供も必要だろう。加えて、アレルギーやベジタリアン、ビーガンの対応なども、避難所生活が長期化する可能性があることを考えた時、大きな課題となっている。
阪神淡路大震災、東日本大震災、24年の能登半島地震の避難所状況を写真で見比べてみてみたい。
1. 阪神淡路大震災
2. 東日本大震災
3. 能登半島地震
阪神淡路大震災や東日本大震災という歴史的大地震を経た、2024年の能登半島地震でも大きな改善は見られていないように見える。
大きな震災を何度も経験し、教訓があるはずの地震大国、日本。避難所での問題は山積みのように感じられるのに、なぜ改善が見られないのだろうか。災害の種類、起きる場所によって必要な支援は様々だが、国をあげての支援や法律の見直しはもちろん、ガイドラインとして各自治体、行政、民間企業も平時からできることを改めて考えておく必要があるように感じる。
ただ、全ての避難所がこのような状態ではなく、快適に過ごすことのできる避難所づくりが進んできていることも確かではある。
海外の避難所づくり
次は、より良い避難所とはどういったものなのか、EUの中でも地震の多いイタリアと、今年の能登半島地震と発生時期が近く、日本と同じくアジアの島国で地震の多い台湾の事例を見てみたい。
イタリア - 迅速なテント村設置
EU圏でも特に地震が多いイタリア。イタリアを含むEU圏などでは、災害時に体育館での雑魚寝などの光景は見られない。被災者が生活するためのテント村(=上写真)が設置される。中には簡易ベッドも置かれ、一人一人が屋根と壁のある空間で過ごすことができる。さらにテント村に設置されたトイレコンテナは、1コンテナ当たりトイレの個室が4個室程度で、シャワーブースが併設されているものもあるのだという。また周辺には、キッチンカーが来て、温かい食事をいただくこともできるようにされている。
ボランティアスタッフの賃金は、国が補償
ある地震の際に使われたキッチンカーは、ボランティア団体によって約5000人に食事を提供できたという。そのキッチンカーを運営する団体は約300人の登録ボランティアや有給スタッフが、本部と15の支部で活動しており、平時は所有する25台の救急車による救急搬送や高齢者支援など、様々な業務を自治体から請け負った収入で運営をしている。会社員のボランティアが災害で出動すれば、その間の賃金は国が会社に補償するという。
台湾 - NPO団体との連携による支援
2024年4月に起きた台湾・花蓮市の地震では、地震発生3時間後に写真のようなテントでの仕切りが体育館に設置されたというニュースが日本で大きな話題にもなった。テントだけでなく、手話対応可能なスタッフの配置や、ペットも同伴可能という日本との違いに驚く声もあった。避難所は、発災後大きな混乱もなく、スムーズな対応がとられたそうだ。
被災した花蓮市は、地震が多く前回起きた地震や日本の東日本大震災からも学び、こういった対応がとれたという。ここで日本と大きく違う点としては、地方自治体がNPO団体と連携を結んでいるため、現地での迅速な行動、判断ができる人間がいるという仕組みがある。こういったところはすぐにでも見習うべきだと感じた。日本は地震発生回数に比べ、毎度初回のように対応が遅い点は不思議に感じる人も多いのはないだろうか。
デザインとアイデアで変わる避難所
海外と比べると、避難所の違いは様々に見られる。ただ日本国内でも、厳しい避難所の環境を少しでも快適にするために考えられたアイデアやデザインがある。
建築家 坂茂(ばんしげる) 「紙の間仕切りシステム(PPS)」
坂茂がデザインした”紙の間仕切りシステム「PPS(Paper Partition System)」”は、穴のあいた紙管に別の紙管を差し込むことでフレームをつくり、そこに布をかける間仕切り。
基本ユニットは2m×2mだが、フレーム同士を連結することができるので、グリッド状にいくらでも拡張することができる。また、紙管にかけた布はカーテンのように開閉するので、プライバシーを保つ一方で、カーテンを開けていれば避難所全体を見渡せることに加え、換気を促し、空間を衛生的に保つことができる。
この画期的なシステムは、東日本大地震の際に話題となり、現在は海外の被災地、難民地域でも用いられている。能登半島地震で被災した人々へむけた被災地支援プロジェクトを、建築家の坂茂がそれぞれ代表を務めるNPO法人ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)と坂茂建築設計が企画。同地震の被災者用避難所の1つである石川県金沢市の額谷ふれあい体育館に、被災者のプライバシー確保のための「PPS」と、段ボールベッドを150ユニット支援、設営を行なった。
VANと共に、木造の仮設住宅の建築(=写真下)に取り掛かっているという。
ダンボールシェルター/スリープカプセル
2011年3月11日に起きた東日本大震災を機に、建築家・デザイナーである工学院大学の鈴木敏彦教授は、誰でも作れるように段ボールを使い、体育館の広い空間を安心で快適にする「ダンボールシェルター」を製作。
当初350個製作して宮城県気仙沼市や女川町の避難所に持ち込んだが、避難所の物資支援のルールである「全員に平等に」という基準を満たせず使ってもらうことができなかった。しかしその後厚みのある強化段ボールを使用すること等改良を重ね、ダンボールシェルターによる支援は熊本地震や2017年の九州北部豪雨、今年の能登半島地震でも続けられている。
また、コロナ禍の2020年にカプセルホテルで使われるカプセルベッド大手から依頼があり、段ボールで「スリープカプセル」も製作。
日本初のカプセルホテルを設計した建築家・黒川紀章の事務所で働いていた経験を活かした。カプセルホテルの一室とほぼ同じ大きさで、階段付きの2階建てになっている。コンパクトながら、居住空間は広さ3.5平方メートルで、災害支援の国際基準「スフィア基準」も満たす広さだ。避難所で心配される感染症も3密(密閉、密集、密接)も回避できることから、スリープカプセルも今後災害時の実用化が期待される。
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スフィア基準
難民や被災者に対する人道援助の最低基準を定める目的で、1997年に非政府組織(NGO)グループと赤十字・赤新月運動によって定められた基準
ダンボールベッドとパーテーション
「スリープカプセル」は段ボールを応用した技術と言えるが、シンプルに段ボール1枚でもカーペット代わりや仕切りに使うこともできる。東京オリンピック、パリオリンピックとオリンピックの選手村に段ボールのベッドが導入されて話題となったが、段ボールベッドや段ボールテーブルなどは丈夫で軽量かつ安価、また組み立ても簡単で被災地でも活用されている。
写真は、アスリートの社会貢献活動を推進するHEROsが能登半島地震の際に、段ボールのベッド1200台とパーテーションの物資支援を行った時のもの。今年の能登半島地震を含めまだ物資として避難所に届けられる数も少なく、備蓄されていない場所も多いが、畳めば保管の場所も少なくて済む。避難所のQOL向上と利便性等を考えると今後段ボールベッドは必須と言えるかもしれない。
屋外にも屋内でもすぐに建てられる家「インスタントハウス」
インスタントハウスを考案したのは、名古屋工業大学の北川啓介教授。同大学のサイトで製作・輸送費の寄付を募り、能登半島地震の被災地へ無償で発送していた。
開発のきっかけは2011年の東日本大震災。調査で訪ねた宮城県石巻市で地元の小学生に「家を建てるのになんで時間がかかるの? 大学の先生なら来週建てて」と話しかけられたことをきっかけに、軽量で運びやすく、少ない部材ですぐにできる家を目指し、2016年にテント形の屋外用ハウスを開発。より簡易に組み立てられる屋内用の開発にも取り組み、2017年に今の原型となるインスタントハウスが完成。今回の能登半島地震で、被災地に初めて導入されたとのこと。
インスタントハウスは、空気を送り込むと風船のように膨らむよう設計されたテントシートの内部に、断熱材として一般的に使用されている発泡ウレタンを直接付けていて、断熱性も高い作りになっている。大人ひとりで施工しても、わずか1時間ほどで組み立てが可能で、国内に限らず海外の災害での使用も期待できる。
イレギュラーな事態と不安定な環境に対応するアウトドアと災害の関係
これらデザインやアイデアによって改良されつつある、災害支援や避難所の環境。
日本の避難所における第一課題は、体育館のような床の硬い広い空間で、プライバシーが守られながら、寒い時期に起こることが多い地震被害で暖かく(夏であれば涼しく)快適に過ごすことができるかにある。そうした視点で考えてみると、天候も不安定で、イレギュラーな事態も頻繁に訪れ、整備された環境以外で寝食を過ごす登山などのアウトドアアクティビティは、想定される環境が近いとも言える。
アウトドアアクティビティにおいては、トイレや病気等への準備や食事、心身の管理等自己完結できるための意志と知恵と行動力が必要になる。なおかつ、軽量でコンパクトでありながら十全な役割をこなすプロダクト選びも必要だ。そうしたアウトドアアクティビティをこなすための様々なモノやコトは、まさに自分で自分の身を守らなくてはならない災害時に大いに役立つものではないだろうか。と、考えさせられた。
アウトドア的視点の防災
アウトドア製品は、災害時に役立つものが多くある。
たとえばアウトドアでは必須のテント。
大きさや種類によって多様な居住スペースを作ることができるが、避難所など限られた屋内スペースでは一人ずつの個室としてはもちろん、1部屋仕切りのように使い、授乳スペースや着替えなどプライバシーを守る用途でも使うことができる。普段使っていないと組み立て方がわからない人も多いので、防災対策として組み立て方、使い方を経験しておくことや、組み立てがほぼいらない簡易テントでも用意しておくと役立つだろう。
次に寝袋。
体全体を包み、保温性も高いので布団のないようなところでも暖かく眠ることができる。今までの避難所では毛布が備蓄されていることが多かったが、真冬の寒さを凌ぐにはかなり薄く、保温性も足りない。0度以下の気温でもテント内は寝袋だけで十分に過ごすこともできる。布団などに比べ軽量でコンパクトに折り畳み持ち運びもできる点も便利である。
アウトドアウェアの中で、やはり特に役立つのはダウンジャケットやシェルジャケット。
日本では冬に大地震を経験してきたことも多く、軽くて暖かいダウンのような防寒具は必須。また雨や地域と季節によっては雪が降ることもあるため、ゴアテックスをはじめとする防水透湿性素材を使用したシェルジャケットが1枚あれば大いに役立つ。瓦礫が散乱していたり、足場の悪くなっている道ではトレッキングシューズがあると安全に外を歩くこともできる。
モンベル社アウトドア義援隊
今年起きた能登半島地震でも、様々な企業による物資の支援や義援金が活発になる前、いち早く動いたのがアウトドア用品メーカーのモンベルだった。
社内からのボランティアによって結成される「アウトドア義援隊」を1995年の阪神淡路大震災時に発足させ、現在までに延べ120人が様々な現地で活動してきた。支援物資を届けることから、必要なものを聞いて回ること、瓦礫の撤去、テント村の設置までボランティア活動の内容も幅広い。ダウンや寝袋から靴下や肌着まで物資支援としてモンベルの製品もたくさん届けられ、被災者の支えとなってきた。
行政の手が届きにくい初期段階から迅速に動けられるのは、1995年の阪神淡路大震災以来、国内外で積み重ねてきた支援経験と活動資金の準備はもちろん、アウトドア経験、救助経験の豊富な人材の多いアウトドアメーカーだからであり、そして何よりボランタリーな活動への意志あるスタッフが多いからだろう。
これからのリサーチでゴールドウインが考えるべきこと
「公助」「共助」「自助」において、国や自治体から公助の支援に頼り切るのではなく。自分の身は自分で守る自助の意識、および共に助け合う共助がますます必要とされている。
地震大国である日本で、一企業であるゴールドウインが、アウトドアアパレルメーカーとしてこれから有事の際に何ができるか。ものづくりを通してアウトドアやスポーツと向き合ってきた知見は、有事の際に人を救うことができる、頼りになるようもっと活かしていけるのではないだろうか。今年の能登半島地震で、本社富山も被害が出たことも含め振り返り、改めて考えていく必要がある。
支援物資の提供の適切化と迅速化、助けを必要としている場所に必要なもの(こと)を正確に届けること。日本にいれば皆が被災者になり得るからこそ、互いに助け合える仕組みを作っておくこと。同行他社の取り組みから見習うことがあるはずだと、実際に私たちはアウトドア義援隊をしているモンベル社に話を伺った。
この記事の著者
Goldwin Inc.
藤田百音
2023年入社。マーケティング部所属