“故郷喪失までX日”
気候変動や戦争・紛争の影響によって、「故郷」を取り巻く状況は大きく変わりつつあります。難民支援を行う国際組織UNHCRの調査によると、紛争や迫害により故郷を追われた人々の数は2024年5月時点で1億2,000万人にも上り、その数は過去12年間で増加の一途を辿っているといいます。
哲学者ブルーノ・ラトゥールによれば、故郷喪失はこうした人々のみの問題ではなく、気候変動などの影響により慣れ親しんでいた環境を失っていく人類全体が、故郷を失い、難民化している、と指摘されています。
このような故郷喪失の時代において、新たな故郷を見つけ出し/作り出していくにはどのようなアプローチが必要なのでしょうか。また、人々の帰属意識やアイデンティティはどのように変わっていくのでしょうか。
こうしたリサーチテーマを探求するべく、Goldwin Field Research Lab.と一般社団法人デサイロ(De-Silo)は、コラボレーションプロジェクトを開始。哲学・宗教思想を専門とする関西学院大学准教授の柳澤田実さんとデジタルメディアを複合的に用いた美術作品の表現を追求してきたアーティスト/多摩美術大学美術学部准教授の谷口暁彦さんを共同リサーチャーとして迎え入れ、「故郷喪失・ノスタルジー・原体験」という視点からフィールドリサーチを実施。その成果を研究者とアーティストの両者が、作品と論考という形式にまとめていきます。
前回の記事では、プロジェクトでの目標として、柳澤さんは「あったはずの過去を取り戻すとは別の仕方で、故郷という人間の心の拠り所に向き合う方法を模索したい」と語りました。さまざまな場面で過去を取り戻すアプローチがとられているなかで、これを「故郷」に対する唯一の向き合い方とせず、別の方法を模索することが重要であるという指摘です。
バーチャル空間をフィールドワークする
前回の議論を踏まえつつ、連載第3回ではプロジェクトメンバーがバーチャル空間に足を踏み入れ、新たな故郷を作り出すためのヒントを探ることとなりました。その背景について、谷口さんは「物理的な土地に紐づくことがなく、現実世界とは異なる時間が流れるバーチャル空間には、時間や空間の制約を超えて新たな故郷を生み出せる可能性があるのではないか」と語ります。
今回のフィールドリサーチを踏まえて、故郷に対するどのような視座が見つかったのか、調査の全容を紹介していきます。
原生林から商店街まで、新たな故郷に向けたヒントを探る
バーチャルの世界へとフィールドリサーチに向かったプロジェクトメンバーは、原生林や雪景色、商店街など、異なる特徴をもつ18の空間を歩くこととなりました。それぞれの空間は、インターネット上でアセットとして販売されており、ゲーム制作や映像作品の背景として使用されるものです。今回の調査では、数多く公開されているアセットの中から、SFのような突飛な世界観のものではなく、現実世界とのつながりが強いものを使用します。
各メンバーは三人称視点でアバターを操作しながら、ノスタルジーを感じた瞬間や強く印象に残った景色があれば、カメラで撮影していきます。これはビデオゲーム内で撮影を行う「インゲームフォトグラフィ」と呼ばれる写真表現を参考にしており、現実の写真とは似ているものの、どこか異なる質感や魅力を生み出します。
そうしたリサーチや撮影した写真の分析のなかで、バーチャル空間に新たな故郷を見つけ出し/作り出していくにはどのようなアプローチが必要なのか、現実世界とバーチャル空間の間にはどのような差異があるのか、なぜ多くの人がゲームをはじめとしたバーチャル空間やそこでの景色に惹きつけられるのか、といった問いに対するヒントを得ることを目指しました。
はじめは新しく手に入れた身体や目の前に広がる景色に戸惑う一同でしたが、辺りを歩き回りつつ、徐々にバーチャル空間へと体を馴染ませていきます。
しばらく周囲を探索する中で、まず話題に挙がったのは細部の作り込みでした。土地の起伏や木漏れ日、水面の質感などが精度高く再現されており、現実世界と見間違えるほど。その中でも、地面をふと見るとアリが行列を作っていたり、商店街の店に入ったときに手書きの看板が置かれていたりと、景色の細部に感じられる自分以外の誰かの痕跡に、没入感やノスタルジーを感じるといった声が挙がりました。
その他にも、民家の軒先に空調機や物干し竿が置かれた景色や、紅葉に囲まれた道路など、現実世界を振り返ったときに、どこか記憶に残っているような景色に強い感情を想起させられたといいます。
第2回の記事にて谷口さんが語っていたような、自分の知っているような日用品や景色がバーチャル空間に登場することで、それらがインターフェースとなって画面の中の世界と現実の世界をつなげ、ノスタルジックな感覚を生み出す、という状況に近いかもしれません。
一方で現実とバーチャルでの差異について、柳澤さんは「空間の方向づけや意味づけがよくわからなくて、ノスタルジーが感じられない」と述べます。たとえ原生林のような空間だとしても、そこには人の手が介在しており、木々の配置から土地の起伏にまで全てに意味があるはずなのに、ゲームのないゲーム空間には意味を見つけるのが困難です。その「方向性のなさ」が現実空間と同じようなノスタルジーを感じることを妨げていると語ります。
その他にも、プロジェクトメンバーからは下記のような視点が提示されました。
広大な大自然を3Dスキャンしてつくられたワールドがいくつもあることが印象的でした。2021年に亡くなった生物学者エドワード・O・ウィルソンが『Half Earth』という本を書いています。そこでは地球の半分を人間が立ち入り禁止の自然保護区に、という提言がなされているのですが、今後の気候変動の深刻化により人間の立ち入り禁止区域が増えていくかもしれません。そんなときに、立ち入り禁止区域のデジタルツインを構築し、人々はバーチャル空間上でその自然を楽しむこともあり得るでしょう。そうした自然を人々は故郷と感じられるのかどうか、非常に興味深く思いました(岡田)
今回のフィールドワークはそれぞれが目的なくバーチャル空間を動き回るものでしたが、ここに目的や他者とのコミュニケーションが生まれることで、人によっては心の拠り所の一つとして機能する可能性が充分にあると感じましたし、事実、現在のオンラインゲームはその役割を担ってると思います。またスキャニングされた自然空間は、様々な理由で自然を訪れることができない人が仮想体験を得る上では非常に有用です。しかし、一度ログアウトすればそこには現実が立ちはだかっており、そこから目を背けながらバーチャル空間に没頭して自らのアイデンティティを見出すことは、心身において健康的なものとは言えないと感じました。逃避的な方法ではなく、また柳澤さんのおっしゃるように“かつてあったはずのものを取り戻す”方法とも異なる、新しい故郷、アイデンティティの見出し方とはどんなものなのか。今後の更なる検証が楽しみです(神田)
出発点はソローの『森の生活』
フィールドリサーチを経て、参加メンバーでディスカッションが行われました。
今回のプロジェクトへの参加を依頼させてもらった際、柳澤さんからはウォールデン・ソローの『森の生活』への言及がありました。今回のフィールドリサーチも、この本からインスピレーションを受けて始まったものでしたよね。
『森の生活』は、そのタイトル通り、ソローが森の中に小屋を建て、そこで暮らす様子を描いた作品です。私は、この本に描かれたソローの生活に、現代における故郷やノスタルジーとの向き合い方についてのヒントがあると感じています。ソローは、19世紀のアメリカで、人間が社会やその制度を乗り越えて、自立し独立することこそが最高の状態であると考えていた、いわゆる「トランセンデンタリズム」という思想を持っていました。この時代は急激に進んだ都市化、産業化に対して疑問を持ったアメリカ人がまさに自分たちのアイデンティティを模索していた時代で、大規模な信仰復興(リバイバル)も起きました。当時の時代状況やソローの思想について考えると、ソローの森での生活は、自身のアイデンティティや故郷をつくるための行為だったのではないかと思うんです。
私は、この「新しく故郷を作る」という姿勢が非常に重要だと捉えています。ですから、今回のプロジェクトでは「もし21世紀にソローが生きていたら、どのように故郷を作り出していくだろうか?」という問いを考えたかったんです。
柳澤さんからそのお話をうかがったとき、バーチャル空間に故郷を作り出すということをまず考えました。「新しく故郷を作る」というのは、故郷なのに新しいという、矛盾した状態ですよね。そうした矛盾して宙吊りの状態を、バーチャル空間に故郷を作るという方法で表現できるのでは、と思いました。そんな経緯から、今回の調査ではバーチャル空間が新たな故郷を築く場となるのかを確かめることにしたんです。
前回の対談でも、「あったはずの過去を取り戻す」とは別の方法で、「故郷」という人間の心の拠り所に向き合う方法を模索したいとおっしゃっていました。今回のプロジェクトでは「新しく故郷を作る」という部分が特に大切にしたい観点になっていますよね。
故郷に対する別のアプローチを探ることは、個人のアイデンティティやノスタルジーといった観点だけでなく、もっと広いスケールで重要なことだと思います。
例えば、現在のイスラエルとパレスチナの対立を考えると、その根底にはユダヤの人々の「故郷を取り戻したい」というシオニズムの思想があると感じます。このシオニズムという思想もまた19世紀に生まれましたが、元々ユダヤ教にある発想ではないとも言われます。つまり「故郷を取り戻す」という発想は、故郷を失っている人たちだから当然持つもの、というわけでもなさそうなのです。現在のように複数の民族集団が故郷を取り合うような状況を避けるためにも、歴史や場所にとらわれずに新たな「故郷」を作り出す術を考えることが必要だと感じているんです。
柳澤さんのお話をうかがっていて、令和6年能登半島地震を受けての「創造的復興プラン」が思い浮かびました。このプランは、復興の際に元の景観をただ再現するのではなく、震災で一度その場を離れることを強いられた人々が再び帰ってきたくなるような、また他の都市から移住したくなるような都市を新たに作るというビジョンを掲げています。このような発想は、震災の多い日本においても非常に重要だと感じています。
それはとても示唆的ですね。先ほどシオニズムの例を挙げましたが、気候変動などの影響で人々の流動性が高まっている現代においては、「故郷を失う」という問題はもはや一部の地域に限った問題ではなく、人類全体の課題だと思っています。だからこそ、このテーマについて考えることがますます重要になってきているように思います。
キーワードは「物語」と「全体性」?
今回のフィールドリサーチを実施するにあたって、実は事前に「新たな故郷の作り方」に対していろんな議論をしましたよね。
そうでしたね。ソローが木の枝や岩を集めて小屋を建てたり、野菜の種を見つけて畑を作って生活していた様子を、バーチャル空間で再現することを考えていました。ただし、バーチャル空間内で素材を集めて組み合わせるような、マインクラフトのようなゲーム的な体験を目指していたのではなく、現実の世界の日用品をスキャンしてバーチャル空間に持ち込むアプローチです。こうすることで、バーチャル空間を現実と地続きに感じられるのかなと。また、日常生活のしょうもなさとか、ノイズのような曖昧なものも含めて、ノスタルジーのようなリアリティを生み出せるのかなと思っていました。
故郷を作るために小屋を建てると言えば、Ye(カニエ・ウェスト)が2021年のアルバム『Donda』のリスニング・パーティで、自分の生家を建てて燃やしていましたね。そういう故郷を立ち上げるための儀式ができる場所をバーチャルに求めるのも面白いのではないかと思っていました。
面白いです。今回の調査を踏まえて、仮説に対する考え方の変化はありましたか?
私自身はゲームになっていないアセットの空間にはノスタルジーを感じられませんでした。いかにもノスタルジーを演出していそうな昭和の風景にもなぜか感じなかったですね。同じアセットを使っている谷口さんの作品のほうにはノスタルジーを感じるのが不思議です。私自身にゲームのリテラシーがないのかもしれませんが、郷愁を共有するためには、何らかの物語が必要なのかもしれないですし、世界の全体性みたいなものが必要なのかもしれないです。アセットは精密なのに断片的で、空間として狭く、とっかかりになる物語がないので、そこで自分が生きていた故郷という感じがしなかったです。
そうですね、色々な環境を巡り歩いてみて、こうしたビデオゲームやバーチャルな空間がどのように作られているかという視点は共有できたかなと思います。で、そこからどうやって作品にしていくのかはもう少し具体的に考えないといけないな、と思いました。後半に、空間内でその場でコラージュを行ったりしたんですが、そうした唐突な物のコンポジションとか、場面の衝突とかは何か手法として使えそうかなと思ったりしました。柳澤さんがおっしゃるように、とっかかりになる物語がないと入り込んでいけない感じがありますね。ある意味でそれが発見ではあったかなと思います。
新たな故郷を作り出していくためのリサーチは、まだ始まったばかりです。今回の調査を通じて、バーチャル空間に故郷を見出すためのヒントは得られたものの、柳澤さんが指摘する「全体性の不在」という問題は残ります。
しかし、柳澤さんは「行ったり来たりしながらも、故郷やノスタルジーの輪郭を少しずつ掴んでいくことに意味があるのではないか」とも語ります。正解に向かう一本道を探すのではなく、さまざまな仮説を持ちながらその検証を繰り返すことこそが、リサーチの営為であるはずです。
次回の記事では「新たな故郷を立ち上げるには?」という問いを引き継ぎつつ、一度バーチャル空間を離れ、「宇宙移住と故郷性」をテーマとしたリサーチを行います。
Text:Kai Kojima
Interview & Edit:Kotaro Okada
Photo: Maruo Kazuho