自然がひらかれるとき 03

私のきれいと、山のきれい

2025.07.25 Fri

世界で最も高いごみ捨て場?

「ゴミが見当たらない」。エベレスト街道を歩き始めた私たちが最初に驚いたのは、その清潔さでした。「エベレスト」と聞いて、その雄大な姿とともに、ゴミ問題を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。インターネット上には、エベレスト周辺のゴミ問題を報じる記事が数多くあり、「世界で最も高いごみ捨て場」と揶揄されることさえあります。

実際、クンブ地方では1日あたり約790kg、年間約200トンのゴミが発生していると言われています。そのうち約4割は食べ物の残りなど自然に還る有機物ですが、残りはプラスチックや缶、ビンといった、自然環境では分解されにくいもの。エピソード02で紹介したロッジオーナー、チミ・テンジン・シェルパ氏によると、観光客の増加とともに、ペットボトルや缶といった「分解されないゴミ」がこの地にもたらされ、それがゴミ問題の一因となりました。一方で、当初、分別やリサイクルといったゴミに関する知見を持たなかった地域住民に、その重要性や方法を伝えたのもまた観光客だったといいます。

現在、エベレスト街道の至るところにゴミ箱が設置され、いくつかの村にはゴミ処理施設も整備されています。さらに、学校ではリサイクルについて学ぶ授業も行われるなど、地域住民のゴミに対する意識は変わってきているといいます。こうした変化の背景には、観光客や住民と連携しながら地道な取り組みを続けてきたローカルコミュニティの存在があります。今回は、こうしたコミュニティの中から2つを取り上げ、ご紹介します。

SPCC(Sagarmatha Pollution Control Committee)

1991年、地元のシェルパ族を中心に設立された、サガルマータ国立公園の環境保全を目的に活動する非営利団体。現在約50人のメンバーによって構成されており、街道沿いのゴミ箱の設置・管理や、各村でのゴミの分別施設の整備などを通じて、地域全体のゴミ管理システムを運営しています。さらに、登山ルートの整備や、氷河湖決壊に備えるために研究者、自治体、地域社会が連携する共同研究ハブ『RISEプロジェクト』を立ち上げるなど、管理にとどまらずクンブ地方全体のインフラ整備にも取り組んでいます。

Sagarmatha Next

2008年、スウェーデンの登山家トミー・グスタフェン氏とシェルパ族のプルバ・タシ・シェルパ氏によって、ゴミに対する人々の意識を変えることを目的に始められたプロジェクト。クンブ地方最大の村、ナムチェ・バザール近郊に位置するビジターセンターでは、ワークショップやVR体験などを通じて、地域のゴミ問題について知ることができます。また、アートレジデンシープログラムを実施し、国内外からアーティストを迎えて、回収されたゴミを使ったアップサイクル作品の制作・展示を行っています。

そんな『SPCC』と『Sagarmatha Next』が2019年に共同で始めたのが、参加型のゴミ回収プロジェクト「Carry Me Back」です。この取り組みは、トレッキング客に対して、入山の際にバックパックに取り付けやすい専用のゴミ袋を配布し、下山時にその袋で拾ったゴミを持って帰ってきてもらうというもの。集められたゴミは、シーズン終了後にカトマンズの処理施設へと輸送されます。

人が集まるということは、食料や宿泊施設などのサービスが持ち込まれると同時に、食料の包装や排泄物といった大量のゴミが残されることも意味します。こうしたゴミを適切に管理し、自然環境を保全していくためには、生態的・経済的に持続可能な仕組みづくりが欠かせません。その実現のためには、一部の団体に依存するのではなく、地域住民の環境意識を高めることから始め、地元の人々や観光客が自発的に関わりたくなるような工夫が求められます。その観点から、サガルマータ国立公園で実践されているゴミ管理システムは、日本の国立公園においても大いに参考になるものだと言えるでしょう。

生きると、捨てるが交差する場所

エベレスト街道を歩いていくうちに、地元の人々と観光客が協力して作り上げてきたゴミ管理の仕組みが、少しずつ見えてきました。ただ、標高が高くなるにつれて集落の規模は小さくなり、それにともなってゴミの管理方法も変わっていきます。とくに、エベレストベースキャンプ(以下EBC)より先は人が定住していない完全な非定住地帯。私たちは、そんなEBC以降の現状を知るために、SPCCで18年間にわたりベースキャンプ・マネージャーを務めるツェリン・テンジン・シェルパさんを訪ね、お話を伺いました。

エベレストベースキャンプの現状

ツェリン・テンジン・シェルパ氏

こんにちは。まずはベースキャンプマネージャーの仕事について教えてください。

ツェリン

登山シーズンである3月から5月の2か月間、ベースキャンプに滞在してゴミの管理や氷河の観測などを行っています。2013年からはエベレストで「ゴミデポジット制度」が導入され、登山者は入山前に4,000ドルの保証金を預け、下山時に8kg以上のゴミを持ち帰ることで全額が返金される仕組みになっています。私は、その回収されたゴミの重さを測定する役割も担っています。

SPCCが、エベレストを綺麗にしたいと考える原動力は何でしょうか?

ツェリン

私たちはエベレストを「世界の鍋」だと考えています。世界中からたくさんの人が訪れる場所なので、多くの食材が持ち込まれて消費されるわけです。そして当然、ゴミも生まれますよね。もしそのゴミを放置したままだったらどうなるか?使った鍋をきちんと洗わなければ、次に使えないのと同じで、エベレストもきちんと手入れをしないと登山者が来られなくなってしまいます。

この18年間で、EBCはどのように変わりましたか?

ツェリン

以前と比べると、格段にきれいになりました。2019年からはネパール軍と協力して大規模な清掃活動を続けており、これまでに120トン以上のゴミを回収しています。

EBCに大量のゴミが残されているという記事を見たことがあります。実際、今も多くのゴミがあるのでしょうか?

ツェリン

地表に目立つようなゴミはほとんど見られませんが、氷河や土砂の下には、いまだ多くのゴミが埋まっているのが実情です。ベースキャンプは、氷河と土砂が入り混じった複雑な地形で、日々その姿を変えています。そうした環境では、ゴミはすぐに地中に埋もれてしまいやすく、個人の力だけで完全に回収するのは非常に困難です。現在見つかっているゴミの多くは、氷河の融解によって地表に現れた、過去の登山隊が残していったものです。

登山の閑散期にあたる11月のベースキャンプの様子。
清掃活動には2019年からネパール軍も加わっている。
土砂に埋もれ、目に見えても回収の難しいゴミ。
何十年も前の登山隊によるゴミも含まれている。

インタビュー後に実際に訪れたEBCでは、登山シーズンが終わった11月だったため、静かな風景が広がっていました。ツェリン氏が話していた通り、ニュースなどで報じられるような大量のゴミは見当たりませんでしたが、目を凝らすと、土砂の中にペグや缶詰といった細かなゴミが点在していました。

さらに、この「目に見えても回収が難しいゴミ」は、ベースキャンプより先ではさらに顕著な問題となっています。私たちは、EBCより先のゴミの状況を知るために、登山家でありネパール政府の測量局主任を務めるキム・ラール・ゴータム氏を訪ねました。彼は公務員として初めてエベレスト登頂に成功し、2020年に現在の公式標高(8,848.86メートル)を測定した調査隊のリーダーでもあります。

ベースキャンプ1以降の現状

キム・ラール・ゴータム氏

こんにちは。まずは、現在の仕事内容について教えてください。

キム

公務員として海外の登山隊とネパール政府との調整役を務めながら、地質学の専門知識と登頂経験を活かし、登山許可の発行や登山ルート管理に携わっています。

キャンプ1以降のゴミの状況について教えていただけますか?

キム

まずキャンプ1(約6,100m)にはほとんどゴミがありません。多くの登山隊がここでは宿泊せず通過するためです。一方、キャンプ2(約6,400m)には実際に宿泊する隊が多いため、多くのゴミが残っているのが現状です。現在、SPCCとネパール政府が連携して行っている「ゴミデポジット制度」によって、ベースキャンプまで運ばれてくるゴミの大半はキャンプ2に残されていたものです。

キャンプ3・4の状況はどうなっているのでしょうか?

キム

キャンプ3(約7,300m)やキャンプ4(約7,900m)にも、テントや酸素ボンベなどのゴミが大量に残っています。しかし、これらの高所での回収は非常に難しいのが現状です。というのも、長時間の滞在が難しい過酷な環境にかかわらず、ゴミが氷に深く埋もれており、取り出すには専用の機械で掘り起こす必要があります。そのため、この場所のゴミの回収には膨大な時間と費用がかかってしまいます。

今後どのようなことが必要だと思いますか?

キム

引き続き、残されたゴミの回収を行いながらも、「これ以上汚さない」ことが何より大切だと思います。しかし、高地になるほど政府の監視も行き届きにくくなります。そういった環境では、登山者一人ひとりの倫理観が問われてくると思います。

登山者の倫理観を高めるには、何が必要だと考えますか?

キム

まずは、ガイドの教育が最優先だと考えています。これまでガイドの役割は、登山者を安全に山頂へ導くことでしたが、今後は登山技術や知識だけでなく、登山におけるマナーや倫理も伝える「教育者」としての役割が求められてくると思います。

キャンプ1の様子(撮影:Ashish Gurung)
キャンプ2の様子(撮影:Ashish Gurung)
キャンプ3の様子(撮影:Ashish Gurung)
キャンプ4の様子(撮影:Ashish Gurung)

「私のきれい」と、「山のきれい」の隔たり。山麓地域では、地元の人々にとって環境をきれいに保つことが観光客の増加につながり、それが自分たちの生活の豊かさにも直結します。また観光客も、ただトレッキングを楽しむだけでなく、地域の暮らしに少しでも関わることが一種の充足感につながっています。そうした相互の動機があるからこそ、山麓では「私のきれい」と「山のきれい」の隔たりは小さいと言えるでしょう。

一方で、標高が上がり環境が厳しくなるにつれて、「私のきれい」と、「山のきれい」の隔たりは広がっていきます。極限に近い状況の中では、少しでも荷物を軽くしたいと考えるのは当然のこと。現在、サガルマータ国立公園で行われている「ゴミデポジット制度」は、経済的なインセンティブを利用した現実的な方法と言える一方で、多額の保証金を払っても大量のゴミを残していく登山者が後を絶たないともいいます。

こうした状況を踏まえると、ゴータム氏が指摘するように、登山者一人ひとりの倫理観をどう育てていくか、すなわち「私のきれい」と「山のきれい」の隔たりをどのように埋めていけるのかが問われています。こうした視点は、日本の国立公園を考えるうえでも欠かせない視点になるでしょう。

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この記事の著者

kontakt

柴田准希

1997年富山県生まれ。大学ではスポーツバイオメカニクスを専攻。卒業後、広義のファッションに関わる仕事をしたいと考え、2023年にkontaktに入社。

ガイド

国際山岳ガイド

Ashish Gurung

1991年、ネパールのマカルー地方、リンガム村に生まれる。2010年に登山遠征隊のキッチンボーイ(調理補助)としてキャリアをスタートさせ、2016年より本格的にガイドトレーニングを開始。約6年間にわたる研鑽を経て、2022年に国際山岳ガイド連盟(IFMGA)認定ガイド資格を取得。現在は、英語と日本語を駆使し世界各国から訪れる登山者のガイドを務める。2025年には自身のガイド会社「Summit Solution Treks & Expedition」を設立し、さらなる挑戦と活動の幅を広げている。これまでに、エベレスト4回、ローツェ2回、アマ・ダブラム5回の登頂を果たし、さらに数々の6,000m級の峰々にも登頂するなど、豊富な登頂実績を誇る。

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Goldwin Inc.

上沢勇人

2019年入社。THE NORTH FACE STANDARDのショップスタッフを経て、2023年よりマーケティング部所属。趣味はロングトレイルやバックパッキング。ここ2年ほどはトレイルランにハマり100mileの完走を目指してトレーニング中。

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