アスリートと言語化 #00

アスリートの経験は、
社会でどう翻訳されるのか

2026.08.25 Tue

アスリートの経験は、           社会でどう翻訳されるのか。

株式会社ゴールドウインは、1951年、富山県小矢部市で津澤メリヤス製造所として歩みを始めました。
→ゴールドウインの歩み

戦後間もない日本で、人々がスポーツを楽しむ姿を見た創業者の西田東作は、スポーツウエアへと舵を切り、やがてスキーをはじめとした競技の現場と向き合うようになります。アスリートの身体と対話しながら、素材開発やミリ単位の設計技術を磨き、現在はアウトドアやパフォーマンス・ライフスタイル領域へと拡大してきました。創業以来、常にスポーツの現場の「変化」ともに成長してきた企業です。

本記事の筆者である2025年に新卒入社した私は、小学4年生でアルペンスキー、大学2年生でスキークロスという100分の1秒を争う競技に出会いました。

勝敗やタイムという明確な指標のもとで、自分を測り続けてきた日々。
ゴールドウインがオフィシャルスポンサーを務めるナスターレースを通じて初めて世界大会の舞台に立ったのも、この競技生活の中でのことです。

スポーツとともに歩んできた企業に、
スポーツを続けてきた人間が入社する。

一見、とても自然な接続のように思えます。
実際、就職活動の場で努力や継続力、目標達成にいたるプロセスを自身の強みとしてアピールし、周りとの差別化を図る大きな武器となりました。
しかし、社会に出てしばらく経つと、問いは変わります。
「学生時代に何をしてきたか」ではなく、「いま、何ができるのか」
そしてさらに時間が経つと、もう一段深い問いが立ち上がります。

競技を離れたあと、自分の中に何が残るのか

引退とは、それまでの順位やタイムなどの功績という明確な評価軸を失うことでもあります。“元アスリート”という過去の肩書きが支え、かつ唯一の軸となり、その肩書きのみで自分を説明しようとする時、どこか時間が止まったように感じてしまいます。

過去の結果を語ることで自分を説明する。               根性や努力を価値として語り続けることへの違和感。

つまり、競技時代の成功体験を、そのまま社会に持ち込もうとする在り方に違和感を覚えたのです。そこで、アスリートが経験する多面的な変化を、社会人になってから頻繁に耳にするようになった「定量」「定性」という言葉に翻訳してみることにしました。

勝敗やタイム、順位といった結果は、外から測れる「定量的な強み」と翻訳できます。これらは客観的に可視化しやすい一方で、引退と共に過去のものになります。
それとは対照的に、できなかったことと向き合い、自らの身体や内面との対話を通して自分を更新していくプロセスは、数値化できない「定性的な深まり」と翻訳できます。

競技の現場では、この二つは多くの場合地続きなものであり、目に見えない定性的な深まりが積み重なったその延長線上に、結果として現れる定量的な強さが現れます。

私が今回捉えたい「定性的な深まり」とは、
単なる「根性」や「努力」のことではありません。

過酷な局面を耐え抜いた精神力やコツコツと地道に積み上げてきた努力もまた、貴重な財産であると感じている一方で、精神論をそのまま自らの社会の価値にしようとすることにも強い違和感があります。

本当に残るべき価値とは、精神論にとどまらず、変化に適応するために自らを更新し続けてきた知的なプロセスそのものであるはずだと考えたいのです。スコアや順位という定量的な評価軸をそのまま社会に持ち込めば、環境の変化に対応できずどこか摩擦が生じてしまう。

結果を失ったあとにもアスリートの内側に現在形の資産として残り続けているはずの、数字の裏側にある定性的な深まりにこそ、本当に大切にするべき価値があるのではないか。

この問いこそが、今回のリサーチの起点になりました。

外的な評価軸を失った時、                      引退後に残る「定性的な深まり」の本質とは?

アスリートのキャリア支援事業に携わった企業関係者の方々にお話を伺う機会をいただきました。そこから見えてきたのは、アスリートが有する高いポテンシャルと、それを社会で発揮するために越えなければならない「壁」です。

同事業のご担当者によると、アスリートは日常的に

    課題の発見
     |
 新たな知識・スキルの習得
     |
     実践
     |
     検証

というサイクルを自律的かつ高速に回しています。
この経験から培われた課題から目標を設定する能力及び目標から逆算する行動特性や、新たなアプローチにより成長を目指す創造性は、今後人材不足が予想されるIT・DX分野や地域活性化の現場をはじめ、ビジネスにおいて幅広くかつ高い適合性があり、実際、採用やプロジェクトベースの案件において企業や自治体等のニーズとマッチングする可能性が十分にあるとのことでした。

しかし同時に、現実に存在する多種多彩なアスリートの経験や能力と企業等の多様な人材ニーズを結びつける上で、最大の障壁として浮かび上がったのが「言語化の壁」です。
多くの選手が「自分にはスポーツしかない」と謙虚になりがちで、自らの卓越した経験や行動特性をビジネスの言葉に翻訳できていないという実態がありました。

この事実を踏まえ、アスリート経験の言語化を難しく感じるのは、知識や身体感覚を通じてのみ理解し、身体操作を通じてアウトプットしてきた、言語と身体/運動経験の翻訳関係が成立してこなかったからではないかと考えました。

私が経験してきた、アルペンスキーにおける時速80キロを超える雪上での瞬時の判断。

繰り返す失敗の重み。

敗北した直後の自己否定。

そこから再び雪上に立つまでの葛藤。

競技の現場では、思考は常に具体的な痛みや恐怖という身体の切実さと隣り合わせでした。その過酷なサイクルこそが、アスリートとしての内面を少しずつ、確かに変えていったと思います。
そうした視点に立つとき、私はアスリートを、功績がある定量的に強い特別な成功者としてではなく、この身体を通した更新を経験してきた人として捉え直したいと考えました。


もし、アスリートが過去の実績にすがり続けるなら、定性的な深まりはそこで終わります。
もし、根性論に回帰するなら、更新は止まります。
もし、“元アスリート”という肩書きが評価軸になるなら、その先の成長は途絶えます。

引退後、何を手放したのか。                何を手放し、何が残ったのか。

競技実績という結果を一度手放し、アスリートとして自らの身体や内面との対話を通した変化に向き合う姿勢そのものを言語化し、社会に対して翻訳することができたなら、私たちは社会という新しいフィールドでもう一度、自分を更新していけるのではないか。
人生の大きな分岐点である「引退」という節目において、アスリートは社会のパラダイムシフトに合わせて、自らの考え方やあり方も変化させていく必要があると仮定するところからスタートしてみたいと思います。

そう考えるのは、ゴールドウインのモノづくりに対する姿勢からです。それは「Dedication to Detail」という言葉で社内に浸透しています。見た目の美しさだけでなく縫い代やパーツの配置、着心地や耐久性、素材の来歴、製造背景といった部分まで徹底し、繊細・綿密・丁寧なモノづくりを行う姿勢。それがゴールドウインの理念です。
自然環境や時代のニーズ、テクノロジーが変われば、求められる機能も素材も設計も変わる。長い時間をかけてゴールドウインはスポーツの現場と向き合い、常に更新し続けてきました。

人の生き方もまた同じではないでしょうか。
競技を終えたあと、過去の栄光を誇るのではなく、これからの自分を形作る「素材」にする。定量的な結果から離れ、定性的な向き合い方を残す。環境の変化を受け入れながら、もう一度、新しい自分への更新を始める。


身体を通して深まった経験は、社会でどのように翻訳され、生きるのか。
競技名を伏せても説明できる、社会の中で再現できる力とは何なのか。

これらの問いは、競技を終えた人だけに向けられたものではなく、いま、新しい環境の中で自らの存在意義や強みを模索しているすべての人 ───すなわち、社会を生きる一員としての、共通の問いであると思っています。

この問いを起点に今回のcolumnでは、アスリートの能力を翻訳し、社会に生きる元アスリートたちの課題と可能性を探っていきます。

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この記事の著者

Goldwin Inc.

鈴木英

2025年ゴールドウイン入社。DX推進室所属。小学4年生の時にアルペンスキーを始める。中学2年生の時にゴールドウインがオフィシャルスポンサーを務めるナスターレースにて世界レースの出場権を獲得し、本格的に競技スキーに取り組む。2023年スキークロス全日本選手権大会に出場し優勝。アルペンスキーとスキークロス競技に取り組みながらヨーロッパを中心に海外レースを転戦。

リサーチメンバー