消費よりも修理が優位な社会はつくれるのか
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に基づき、2016年から2030年までの15年間で達成すべき世界共通の目標として、SDGsが掲げられた。そのタイムラインも、いまや終盤に差しかかっている。
この10数年で、「サステナビリティ」という言葉はさまざまな場面で浸透し、近年では持続可能性だけではなく、ネイチャーポジティブ、つまり再生的なアクションを表す「リジェネラティブ」という言葉も広がりつつある。一方で、企業による「グリーンウォッシュ」への懸念が高まり、とりわけEUを中心に法規制が進むなかで、サステナブル・アクションには真偽性や追跡性、実効性がこれまで以上に求められるようになっている。
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グリーンウォッシュ
グリーンウォッシュとは、環境に配慮した、またはエコなイメージを思わせる「グリーン」と、ごまかしや上辺だけという意味の「ホワイトウォッシュ」を組み合わせた造語。環境に配慮しているように見せかけて、実態はそうではなく、環境意識の高い消費者に誤解を与えるようなことを指す。引用元:IDEA FOR GOOD
そのような現代の企業活動において、複雑なサプライチェーンの各所にいるさまざまなアクターが、それぞれの立場から新たなソリューションの研究と実装を進めている。私たちゴールドウインは、アパレル産業のサプライチェーンにおいて、生活者との接点を持つブランド事業者である。本リサーチでは、その立場から私たちが比較的クリティカルに取り組むことのできるテーマとして、「リペア」に着目したい。
リペアは、なぜ「正しいのに選ばれない」のか
メディア研究者スティーブン・ジャクソンは、世界を、常に壊れ続ける力と、絶えず修繕され再構成されていく力がせめぎ合う場として捉え、その支点にリペアを置いた。
The fulcrum of these two worlds is repair: the subtle acts of care by which order and meaning in complex sociotechnical systems are maintained and transformed, human value is preserved and extended, and the complicated work of fitting to the varied circumstances of organizations, systems, and lives is accomplished. — Steven J. Jackson, Rethinking Repair (2014)
ここでジャクソンが示しているのは、リペアが単なる「元に戻す」行為ではないということだ。リペアとは、複雑な社会技術システムのなかで秩序や意味、人間的な価値を支え、ときにそれらを更新しながら、物事を前に進めていく繊細なケアの実践でもある。
だとすれば、現代において、なぜリペアは日常のなかで自然な選択になりにくいのだろうか。
直すことの価値は、直感的には理解しやすい。壊れたものを修理し、長く使い続けることは、環境にも経済にも良い選択のように思える。
しかし現実には、私たちの経済や生活の構造のなかで、修理は必ずしも合理的な選択とはならない。修理には費用がかかり、依頼や受け取りには時間もかかる。どこで修理できるのかが分からず、必要な部品が手に入らないこともある。結果として、多くの場合、「新品を買う」ほうが経済合理性にかなってしまう。
つまり、リペアが選ばれにくいのは、個人の倫理が不足しているからではなく、修理よりも買い替えのほうが合理的になってしまう社会システムの側に問題があるのではないか。
日本では、古くから金継ぎや襤褸のように、傷や綻びを抱えたものを直しながら使い続ける文化が存在してきた。およそ50年前までも、洋裁文化が生活のなかに深く根づき、各家庭にミシンがあり、親が子の衣類を直したり、不要になった布を別の用途へと作り変えたりすることが、ごく日常的に行われていた。衣服からランチョンマットへ、さらに雑巾へと姿を変えていくような、家庭内でのサーキュレーションが成立していたのである。
しかし、工業化と経済成長にともない、モノが効率的かつシステマティックに大量生産される時代のなかで、リペアは次第に「手間をかける特殊な行為」へと変化していった。かつては生活の延長にあったはずの行為が、いまでは意識的に選び取らなければならないものになっている。
本リサーチで注目したいのは、すでにリペアを選好している一部の実践者や、倫理的な生活者だけではない。その周縁にいる、より多数の人々である。まだ修理を選ぶ習慣がない人。修理したい気持ちはあっても、手間やコストの壁で諦める人。所有や愛着よりも、利便性や更新性を優先する人。そもそも選択肢自体が生活のなかに存在していない人。
私自身もまた、すべての所持品を修理しているわけではない。その都度、コストや時間、必要性を踏まえて合理的に判断しているのが現状だ。だからこそ問いたいのは、「どうすれば人々が倫理的な正しさや我慢としてではなく、自然な選択としてリペアを選ぶようになるのか」ということだ。
こうした人々にとって、どのような条件が整えば、リペアは選択肢になりうるのだろうか。それは価格の問題なのか、アクセスの問題なのか、時間の問題なのか、文化の問題なのか。あるいは、個人の意思決定以前に、関係性、制度、インフラ、コミュニティ設計の問題なのか。本リサーチは、まずこの問いから出発したい。
それでも、なぜリペアなのか
ブランド事業者が取りうるサステナブル・アクションは、決して一つではない。たとえば、自社製品において環境負荷の少ない素材を選択すること。壊れて廃棄されにくいように耐久性のある設計を行うこと。事業所で使用するエネルギーを再生可能エネルギーへと切り替えていくこと。いずれも重要であり、同時に進めていくべき取り組みである。
そのなかで、私たちがあえてリペアにフォーカスしたい理由は二つある。
一つは、循環のなかでも比較的小さなエネルギーで成立しうる実践だからである。循環型経済の文脈で語られる施策には、リセールやリサイクルもある。しかし、それらは回収、選別、輸送、再加工といった工程を伴い、循環そのものに一定のエネルギーコストがかかる。もちろんそれらを否定するものではないが、リペアは、そうした再流通や再資源化に先立って、いまあるものをそのまま使い続けるためのアプローチである。なかでもセルフリペアは、物流を伴わず、自らの手で資源を長く活用する最小単位の循環だと言える。
もう一つは、リペアが企業と個人の関係性を再び立ち上げる契機になりうるからである。一般的に、製品が販売された後、企業と個人のあいだのタッチポイントは徐々に失われていく。しかしリペアが発生する場面では、一時的にせよ、製品を介して企業と生活者が再び向き合う時間が生まれる。そこではモノだけでなく、その製品が使われてきた時間や記憶、使い手の要望、ブランド側の技術や判断といった情報も往復する。
重要なのは、この往復そのものが、新たな価値を生み出す可能性を持っているということだ。生活者にとっては、製品との関係が深まり、単なる所有物を超えた意味が付与されるかもしれない。企業にとっては、製品の使われ方や損耗の仕方、ユーザーの価値観に触れることで、新しい設計やサービスのヒントを得ることができる。モノのリサイクルでは、回収ボックスに入れた先のプロセスが見えづらく、関係性がそこで途切れてしまうことも多いが、リペアはその点において、双方の価値変容を引き起こす重要な回路になりうるのではないかと考えている。
「元に戻す」を超えて、リペアを考える
ここで、本リサーチにおける「リペア」の定義をあらかじめ共有しておきたい。
一般的に修理とは、壊れたものを元の状態に戻す行為として理解される。つまり、マイナスをゼロに戻す行為である。ゴールドウインのリペアもまた、熟練の技術者による機能回復を目的とした、製品のアフターサービスとして提供されている。
しかし、本リサーチで扱いたいリペアは、それよりも少し広い。修理や手入れ、改変を通して、状態がゼロから一へ、あるいは新しい価値Xへと変化していくプロセスまでを含めて考えたい。
それが、ここで考えたいリペアである。
「元に戻す」という前提は、ときに私たちの選択を狭めてしまう。なぜなら、完全に元に戻せないのであれば、その対象は価値を失ったものとして扱われやすいからだ。しかし、もしリペアのゴールが「元の状態への復元」だけではないとしたらどうだろうか。
傷や変化を受け入れながら、新しい意味や機能を与えていくこと。使い手が手を入れることで、モノとの関係が更新されていくこと。そうしたプロセスを含めてリペアと捉えるなら、そこには単なる機能回復を超えた可能性が見えてくる。
リペアとは、壊れたものを元に戻すための行為であるだけでなく、モノと人との関係を更新する営みでもあるのではないか。新品の状態を価値の唯一の基準とせず、使われた痕跡や変化の蓄積を含めて価値を見出していくこと。そうした視点の転換によって、私たちはリペアの射程を、より広く捉え直すことができるはずである。
リペアを自然な選択にする社会の設計へ
では、人はどのようにして行動を選択しているのだろうか。
法学者ローレンス・レッシグは、人間の行動は、法、市場、規範、構造という四つの要因によって形づくられると指摘した。私たちが何を選び、どのように行動するかは、個人の意思や倫理だけではなく、社会の制度や設計によって大きく左右されている。
この視点に立つと、リペアの普及が進まない一因も見えてくる。それは、リペアという行為に伴う「手間」を引き受けるための意味づけとして、その意義が環境配慮や責任といった規範的価値に偏って位置づけられ、脱成長や個人の美徳の立場から語られることが多かったからではないか、ということである。もちろん、そうした議論は重要である。しかし、それだけでは社会全体の行動を変えるには不十分でもある。
リペアを社会に浸透させるには、環境倫理という規範的訴求だけでなく、法、市場、構造を含めた複数の要因を組み合わせた設計が必要になるだろう。たとえば、修理しやすい製品設計やサービスのアクセシビリティは構造の問題であり、修理費用と新品価格の差は市場の問題であり、修理を後押しする制度や権利の整備は法の問題でもある。
「愛着」のループ
日立製作所研究開発グループと、武蔵野美術大学岩嵜研究室によるサーキュラー・エコノミーに関する共同研究によると、人々をリペア行動を促す背景には「愛着が湧く」「モノを長く使う」「修理をする」というループがあるという。
では、このループはどこで立ち上がり、どこで途切れてしまうのか。価格、アクセス、時間、制度、コミュニティ、そしてブランドと生活者の関係性。実践者や研究者、さまざまな事例へのインタビューを通じて、その成立条件を探っていく。
ここで問いたいのは、リペアを個人の美徳としてどう広めるかではない。リペアを社会の構造設計の問題として捉えたとき、修理が自然と選ばれる社会はどのように成り立つのか。消費よりも修理が優位になる条件を、アパレル産業とその周辺から考えていきたい。
この記事の著者

Goldwin Inc.
上沢勇人
2019年入社。2023年よりマーケティング部でFRLの立ち上げに従事。リサーチ、企画、運営まで一貫して携わる。2026年よりGoldwinブランドのマーケティングを担当。トレイルランやロングトレイルなど、長い距離を動き続けることが好き。

